第3話です。
長編作品の場合、だいたい3話というのは何かの節目に使われることが多いイメージ。この『MIU404』でもその内容に注目が集まりました。
サブタイトルは奇しくも「分岐点」と、非常にストレートな言葉がチョイスされています。隠すことさえしないままに、大きなうねりの存在を感じさせてくれる副題です。
一体どのような物語が待ち受けているのでしょうか。様々な「もしこうでなければ…」が胸に突き刺さる、第3話を紐解きます。
深まる4機捜の関係性
作品内ではそれなりに時間も経ち、第4機動捜査隊の関係性も親密になりつつあるのが伺えます。
特に志摩と伊吹のバディ仲はかなり良好(?)に変化してきていて、互いの長所や短所を理解した行動が取れるように。それぞれが相手を適度にいじり倒しながら、楽しく(?)仕事をしているのが分かります。
1話では伊吹の処遇について「保留」と言っていた志摩も、今となっては伊吹のことを"意外と買っている"とのこと。破天荒な物言いと行動で場をかき回す厄介者ではありますが、そんな彼だからこそ導ける発想や答えがあります。
1つのチームである以上、「誰にもないものを持っている存在」はそれだけで価値があります。初動捜査という少ないヒントから重大な答えを見つけ出す作業の中では、取り分け色々な目線が求められるのでしょう。
1つの発見ややり取りが、誰かの人生を全く違ったものに変えてしまうかもしれない。その「分岐点」を数多く生み出しかねない仕事。それに従事するのが彼ら機捜です。
2話においても、最後の最後で犯人の心を溶かして動かしたのは伊吹の言葉だったように思います。志摩はそれを"自分の目"で確認していて、伊吹が自分には出せなかった結果を導いたことに実感を持っています。それらをもって、必要な人材であると思うようになったのでしょう。
一方で新人であり自己評価の高い九重は、まだまだその多様性の大事さを理解できていないようです。
彼のようなエリート体質の人間はどうしても下々の気持ちを理解できず、論理と帰納のみに頼った判断をしてしまいがちです。しかし実際には、それだけでは解決しないことの方が圧倒的に多いものだと思います。
人間の在り方は千差万別。相手の心に寄り添うことができなければ、真なる解決の糸口を掴むことは大変に難しい。むしろ、より悪い可能性を引き上げてしまうことさえあるのです。
この3話はそのリスクを感じさせる物語でもありました。彼らの考え方の違いが錯綜する「分岐点」は、一体どうなって行くのでしょうか。
心を傷つけられた少年たち
3話の中心になったのは、イタズラ電話をかけて警察から逃走する迷惑行為を行う学生たち。彼らはバシリカ高校の元陸上部員でした。
無名ながらも昨年は好成績を残し始めていたことから、現役生は大会での優勝を目指して情熱を燃やしていたようです。ところが卒業した先輩にかかったドラッグ疑惑の煽りを受け、彼らの居場所は"連帯責任"で廃部となってしまいます。
向けどころのなくなった熱量を燻らせ、ついには非行に走るようになった元陸上部員たち。事前に陸上部が廃部になっていたことを利用し、学校側は彼らの存在を隠蔽しようと試みます。しかしそもそも陸上部を廃部にしていなければこんなことにはならなかったというのが、物事の因果を感じさせる事態です。
対外的には問題を起こした(起こしかけた)のは「バシリカ高校の陸上部」。そうである以上、世間へのアピールとしてその集団を抹消するのは"大人の対応"として自然です。
でもそれは現役生の立場になれば全く別の話。一生に一度しかない活躍の場を、言われなき罪によって奪われる。それがどれだけ彼らの心を傷めつけたことでしょう。
学校側は彼らの心のことを微塵も考えていないようでした。廃部はやむなしだったとしても、せめて彼らの気持ちとちゃんと向き合うことができていれば結果は異なっていたでしょう。その努力を怠って、論理的に事務的に済ませた結果が今回の事件を生みました。
学校はビジネスの場である以前に、学び舎でなくてはなりません。
大人の事情をゼロにはできませんが、可能な限り子供を優先することが望ましい。それを忘れてしまった大人たちが、子供たちを不必要な非行に走らせる。
そんな悲しい物語が3話にはありました。
真剣に勝負できる場所を求める
志摩と伊吹に追い詰められた元陸上部員たちは、それでも非行をやめることはありませんでした。
普通に考えれば「相当な危険を冒したのだからこれで引き下がるだろう」とするのが自然。九重は常識的に判断して、再犯はないと考えました。
ですが伊吹は違います。論理で判断せず「走るのが得意である」という共通点を持つ彼は、絶対にもう一度犯行に及ぶと断言します。
「走りたいから走るんだよ。それだけじゃん」
そこに仰々しい理由はありません。ただ彼らは走る場所を求めているのです。陸上部として高みを目指した彼らは走ることしかできない、走ることで自身を肯定できる存在でした。
もちろん、走るだけならどこでもできるでしょう。グラウンドでも公園でも、行動として発散できる場所は探せば幾らでもあり、トレーニングを積むことはいつだって可能です。身一つで時と場所を問わずに挑戦できるのが、走ることの魅力でもあると思います。
しかし、そうだからこそ彼らは求めるのです。ただ走るだけではなく、"真剣に勝負できる"その場所を。
いつでもどこでも行えてしまうからこそ、本気で誰かと競う、限界を超えた自分の実力を発揮できる場所は限られます。
公平性のある場で確固たるルールに則った競争を、自分たちだけで行うことは非常に難しいことです。部活動に参加していれば"大会"という形でそれは体現されますが、彼らはその居場所を失ってしまった少年たちです。
バシリカ高校元陸上部員たちは、本気になって走れる場所、心が熱くなる瞬間を得ることができなくなってしまいました。
自分たちの練習の成果を発揮する。自分たちはちゃんと実力があるのだと証明する。0.01秒を争うギリギリの焦燥感と興奮を感じられるその場所を、彼らは求め続けます。その鬱屈した感情をこじらせ続けた果てで、他人を利用することを思い付いてしまったのでしょう。
そしてその快感は一度体験したらもう引き返すことはできない。ドラッグのように彼らの脳と身体を蝕んで、悪いことだと分かっていながらも何度も続けてしまうのです。
全ては走りたいから。走ることしかできないから。彼らは逮捕されて思い知るまで、何度も何度もそれを繰り返し続けるしかありません。
"イタズラ"の顛末
最後の"競走"を楽しむことにした元陸上部員たちは、本当の意味での最後を迎えることになります。
彼らは知るよしもありませんが、警察にはリレーで逃走していることがもう完全にバレています。そのからくりが判明してしまった以上、1人1人を捕まえること自体はさほど難しいことではありません。
気付いた時にはもう遅く、彼らはより多くの人数で準備をしていた4機捜メンバーに追い詰められて行きます。1人が逮捕された時点で万事休すですが、それでも彼らは走ることを止めません。
逃げることに全力を注がざるを得なくなった彼らは、イタズラ電話をかける役に回っていたマネージャー 真木カホリを1人で放置してしまうことに。それが近辺で繰り返されていた連続強制わいせつ事件の犯人の目に留まり、新たな事件が巻き起こります。
元を辿れば彼らのイタズラ電話は、この事件と関連して考えられていたものでした。イタズラ電話の可能性が高いものでも、警察はわずかなリスクを考えて行動せざるを得ません。
結果、彼らのイタズラに割かなければならない時間や労力が、強制わいせつ事件の解決をさらに遅らせました。
最終的には「どうせまたイタズラだろう」と思われるようにもなります。『羊飼い』の物語よろしく、嘘をつき続けたことが巡り巡って最悪の形で襲いかかったのです。
心で動いた者 論理で動いた者
こんなことになるとは思ってなかった。
当事者たる元陸上部員たちは口を揃えてこう言うでしょう。彼らを擁護することは決してできませんが、このような事態に陥って初めて学ぶこともあります。どんな形であれ、過ちを犯した少年たちが更正するには相応の刺激が必要です。
志摩と伊吹は、彼らが環境のせいで歪んでしまった少年だと感じているようでした。だから2人は正しい言葉で感情に訴えかければ、彼らはきっと動いてくれると考えた。この2人は力づくでの逮捕を行わず、マネージャーを救うための協力者になるよう呼びかけました。
その裏で同じく確保に動いていた九重は、伊吹や志摩とは異なった選択を取ります。
共犯者である少年の1人は既に確保されているから、あとは芋づる式に逮捕することができる。だとすれば今優先すべきは目の前の少年の確保ではなく、襲われた少女を助けることだ。
九重は合理的にそう考えて、追跡していた少年――成川岳に一切の声をかけることなくその場を後にします。
九重の判断は決して間違っているわけではありません。警察として非常に理に適っていて、余計な労力を消費しない優等生的な行動です。彼からすれば逃走中の少年は全て犯罪者。その事実が全てであり、内情を慮ってやる必要はないのです。
しかしながら今回の事件は、当事者たちの心に寄り添ってやれる大人がいなかったことで引き起こされました。そしてそれがどんどんと悪い方向に発展して行き、最後には最悪の結末を迎えようとしている。そんな状況です。
この時志摩と伊吹は(特殊な状況ながらも)初めて彼らの気持ちに寄り添い、心から更正の機会を与える方法を選びました。結果としてそれが彼らの心に響いたことで、この事件は最後の最後で別の形を描くことができたと言えるでしょう。
ですが、成川岳だけはそうはならなかった。もし九重があの時に成川岳の心に寄り添うことができていれば、全てはここで終わらせられていたのかもしれません。
けれど現実はそうはならず、成川岳は更正の機会を得られないままに現在も逃走中。他のメンバーとは全く異なった未来を辿ります。
「分岐点」
逮捕を免れた成川岳は行方不明のまま。
その捜索は4機捜の手を離れて、もはや彼らの範疇ではない仕事になりました。
仲間たちがどのような経緯で逮捕されたのか、それすら知り得ない立場の彼は、今の状況に何を思うのでしょう。自分だけは捕まってはいけないという使命感、それとも自分だけは捕まりたくないという自己保身でしょうか。
この期間中に個人情報をネットで晒されて、世間から必要以上に私刑を受けるようにもなりました。まだまだ狭い世界しか知らぬ子供では到底処理することができない闇が、彼の心を確実に蝕みます。
そんな折に出会ってしまった謎の男は、自暴自棄になった彼に新たな可能性を提示します。その男はバシリカ高校陸上部の人生をどん底に追いやった諸悪の根源、ドラッグの密売人の1人であるのは間違いないようです。
直系の高校の先輩とは別人なようですが、成川とは何らかの接点を持っているかのような会話を展開。誰かが成川と連絡を取った上で、あの場所で待ち合わせしていたのかもしれません。
心に寄り添ってくれる大人を見つけて、何とかギリギリで正しい道に戻ることができたメンバー。それに対して、周りの大人に一切の良い印象を抱けないまま、より深い闇へと身を落として行く成川岳。あまりにも悲痛すぎる状況です。
彼らの人生に訪れた大きな「分岐点」は、この物語をどこに向かわせて行くのでしょうか。そしてその「分岐点」その物になってしまった九重世人。彼の心の変化にも、より大きな注目が集まります。
おわりに
第3話は「分岐点」というサブタイトルに相応しく、様々なものがこの話を機に分裂して行く様が描かれています。
この話だけ一話単位で見れば、コンパクトにまとまった秀逸な一回というイメージ。しかし今後の根幹になるであろうエピソードは、"元を辿れば"全てこの3話に行き着いてしまうのだろう。そう感じさせられるストーリーでした。
1話2話と積み重ねてきたものが結実し、安定感のある関係性と物語が紡がれた第3話。しかし1つの安定の先には、必ず大きな動乱がある。そんなことを意識させられました。
胸に1つの楔を打ち込まれたような、何とも言えないモヤッと感が視聴者を襲いました。その楔からどのようなヒビが入り壊れて行くのか。今後の物語でその流れを是非とも体感して行きましょう。
ゲスト登場の岡崎体育の怪演を犠牲にして、まさかすぎるサプライズ登場を果たした菅田将暉。より最強の布陣が揃った『MIU404』への期待はどんどんと膨らみます。毎週末が楽しみですね。
それでは4話の記事でまたお会い致しましょう。お読み頂きありがとうございました。
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