
引用元:https://www.a3-animation.jp/story/s15.html
「ふぞろいなバディ」が発足した秋組。
まだまだメインメンバーの足並みが揃っているとは言えないながらも、時間は待ってくれません。脚本が完成し稽古も始まり、自分たちの公演に向けての歩み出しが始まりました。
全員が1つの目標を見据えて行くには、それだけ大きなキッカケが必要になる。その可能性が描かれたのがこの第15話です。
不意に超難題を与えられ、徐々に垣間見えてくる秋組らしさが魅力的な一回です。その内容を紐解いて参りましょう。
自分が出ていない芝居
時は進み、早くも通し稽古が可能なレベルまで仕上がってきた秋組の初回公演。14話では万里がコンビを組むのに難色を呈していたりしましたが、何だかんだ配役の変更はなく十座とのバディを中心とした演目で臨んでいるようです。
概ね劇団の稽古模様については春夏でしっかりと描写されているので、秋はそちらを畳んで新たな部分に切り込んで行く模様。演技に必要なものは基礎練習だけではなく、脚本をそのまま通しで行うことだけが稽古ではありません。表現の幅を拡げるとは、様々な活動によって行われるものです。
ここまで話が進んでくるとベテラン指導役の鹿島雄三がやはり登場。今回も座組のメンバーに適合した助言をして、彼らに足りていないものを埋めにかかります。
鹿島の助言は実際の演劇人にも必要となるであろう真に迫ったものばかりで、劇中では座組の課題になると共に、アニメで描かれるテーマを提示する役割も担っています。登場シーンは短いながらも、『A3!』のキャラや物語を理解する上で大変に重要な存在です。
鹿島が指摘する秋組の課題は「自分が出てなさすぎること」でした。芝居をしている役者の個性が感じられず、"それっぽいこと"をしているだけというイメージでしょう。
一般的な尺度だと「どんな役にでもなれること」が優れた役者の指標とされますが、実際にはそういった役者はとても少ないのが現実です。皆無と言っても良いかもしれません。
役者と言えど1人の人間。自分の頭の中で解釈できるものしか表現することはできない以上、全く自分の中に存在していない役を演じることはできません。だから役者は多くの作品を見て、多くの人に触れて"自分にないもの"を吸収する必要があるのです。
彼らのようなやり始めの役者の場合、当然それをする時間も意識もまだまだ足りません。となると彼らにできることは「自分に近しい者を演じる」ことだけでしょう。しかし今回は当て書きの脚本。等身大の演技で十分にキャラの魅力を引き出せるはずで、演じるハードルは決して高くないはずです。
にも関わらず、鹿島の目には「それさえもできていない」という風に映ったようです。しかも個人的な指摘ではなく、秋組全体への指摘として「個性の無さ」を挙げています。
これが秋組のメンバーに共通する欠点及び、彼らの行き着く到達点を読み解く鍵になっていると感じています。
自分を曝け出す勇気
「偽りの人間に、嘘の役塗り重ねても薄っぺらいだけだろう」
鹿島は彼らに向かってそう言いました。
キャラクターは彼らに合っているはずなのに、彼らはそのキャラクターに自分自身を投影できていない。それはつまり、自分で"自分"という人間に蓋をして演技をしているということです。
つまり彼らはどこかで自分自身に後ろ暗いところがあり、それを「演技の上に乗せるべきではない」と感じているのではと思います。自分を覆い隠すことで、自分ではない何かになろうとしてしまっているのです。
ですが演技とはどこまで行っても自分自身の延長。自分を封印して他人の真似事をしていては、中身のない形だけのお芝居になってしまいます。その状態で積み重ねれば"見える"ものにこそなれ、突き抜けたものを感じさせる熱量ある舞台ができ上がることはないでしょう。
「生の人間がつく嘘だから、芝居は面白ぇんだ」
自分ではない何かになることは、その一時で嘘の生き方を演じることと同義です。それ故に自分自身に嘘をついていては、嘘に嘘を重ねて行くだけで説得力のないものになってしまいます。
自分自身を認め、曝け出し、たとえ誇れるものでなくても「これが自分だ」と清濁併せ呑んで表現する。その勇気と度量を持てなければ、舞台の上で他人を感動させる役者になることはできません。
そしてその事実は、先に春組と夏組が身を持って我々に見せつけてくれたことです。
彼らは自分自身と向き合って、自身の弱さを受け入れたからこそ人の心を打つ芝居を実現し、『A3!』という作品を楽しむ我々を魅了してくれました。
技術だけでは決して為し得ず、技術を持たない者でも熟達した役者を追い抜ける可能性。それを持つために必要な最も根源的なものが、今の秋組に決定的に不足している要素でした。
では彼らはこれからどうして行くべきなのか。その1つの方法として鹿島が提示したもの。それは自身を題材にして自身だけで1人芝居をするという、役者として自分と向き合うための最も真正直な手法なのでした。
2人の「マイポートレイト」
「人生最大の後悔」をテーマに挑む、秋組に与えられた新しい課題「ポートレイト」。
それぞれがそれぞれの時間を過ごし、改めて"自分"という存在に向き合って行きます。それはきっとMANKAIカンパニーに参加する理由に繋がって行くものでもあるでしょう。演劇とは、得てして「自分を変えたい」と思う者がのめり込んで行く文化であるからです。
その中で今回語られたのは、伏見臣と古市左京の過去。
彼らは"演劇"という世界に入る重い目的を持った2人で、その大きすぎる想いが自分への枷となってしまっている2人でもありました。
失ったものは取り戻せない。やってきたことは取り返しがつかない。けれど新しい自分を始めることは、誰にだっていつからだってできる。
彼らの意志が詰まった1人芝居。
そんな「マイポートレイト」は、誰でもない自分自身に披露する心動かされる一幕でした。
古市左京の後悔
古市左京は独り、MANKAIカンパニーの舞台上で幼い頃の自分を追想します。
貧しい母子家庭で育った彼は、ひょんなことから輝かしい頃のMANKAIカンパニーに出入りするようになった誰でもない少年でした。
お金の問題で楽しいことを知らなかった幼き左京は、芝居の稽古を見ることが既に楽しみの1つとなっていました。見ず知らずの人が楽しくやり取りをしているその姿に、憧れを抱いていたのでしょう。
その仲間に自分が入るなんて考えてもいなかった。そんなイメージを持つことさえできなかった。そんな時に彼の手を引いた1人の少女。彼女が東京に来た時期と、左京が稽古場を覗いていた時期がたまたま重なったという偶然。それが左京の人生を大きく変えることになったのです。
「あの時の温もりは、今でも忘れられない」
この事実を知った時に、彼女は一体どんな顔をするのでしょうか。彼女の無邪気な行いがなければ、彼女自身がMANKAIカンパニーの監督になることはなかったはずですから。
当時の左京は芝居に興味があったわけではなく、ただそこに集う人たちのことが好きだったのでしょう。けれどそこに集う彼の大好きな人たちは、皆同じものを愛する人たちで。彼がその演劇というものに惹かれて行くのは、至極当たり前のことだと言えました。
「そして気が付いた時には…。
舞台に立つのが夢になっていた」
目の前で全力で芝居する人たちの熱気に当てられ続ければ、誰だって自分もやってみたいと思うもの。そもそも、最初から心のどこかにその気持ちがあったから、左京はMANKAIカンパニーの"光"に魅力を感じたのだと思います。
しかし残酷なことに、彼の生まれはその願望の実現を許してはくれません。成長した彼は家族のためを想って、裏稼業でまとまったお金を稼ぐようになって行きました。
それは彼が劇団に感じていた"光"とは相反するもので。そんな自分が稽古場にいることが許されるわけがないと、自分から身を引くことを選んでしまいます。「稽古場に顔を出さなくなった」という言い方的に、彼は結局、劇団の一員として舞台に立つことはなかったのだと推察しました。
もし真実を打ち明けたとしても、周りは何とも思わなかったかもしれない。それでも左京を受け入れて、劇団の一員として迎え入れてくれたかもしれません。ですが左京はそんな可能性を追求することもなく、甘えを断じてその判断に徹したのです。
それだけ、MANKAIカンパニーのことが大切だったのでしょう。大好きな劇団に自分のせいで迷惑がかかることを恐れたのでしょう。
今の仕事を選んだのも家族のためで、自分の居場所を捨てたのも周りのため。古市左京はそうやって自分の人生を押し殺して生きてきた青年でした。そして今もまた、大好きだったMANKAIカンパニーを救うために自分のできることを全うしているのです。
「本当はずっとずっと芝居がしたかった」
寂れていく劇団を目の当たりにして。敬愛した人が1人、また1人と去って行くのを実感して。それでも何もできなかった過去の自分を振り返る古市左京。
「この劇場の舞台に立ちたかった!」
置き忘れてきた少年時代の夢を言葉にして叫びます。奇しくも実現した彼の願望も、決してこんな形で果たしたかったものではないでしょう。
どうしてこんなことになってしまったのか、その内情まで彼は知り得ません。いつまでも在ってくれると思っていたものほど、窺い知れない現実によっていとも簡単に崩れ去って行くものです。
「劇団が一番大変だった時に、支えることができなかった」
自分の人生に"光"を与えてくれた存在が消えて行く。ただその結果だけを断片的に「公演」という形で見せつけられて。
何かがおかしい、何かが変わっている。そんな違和感を持ちながらも、自分が手を出すことは許されないと遠避けた。
「幸雄さんへの恩返しもできなかった…!」
彼が最後に口にしたのは、自分を温かく迎え入れてくれた恩人への言葉です。
ヤクザという身分としがらみの裏に隠していた、彼の本当の気持ち。それはやはり自分の願望ではなく、誰かを想う心から来るものでした。
「"それ"が…俺の人生最大の後悔」
"それ"とは一体、どれのことを指すのだろう。
多すぎる彼の後悔は1つの塊となって、今でも彼の心を苛み続けています。
それでも今の状況はまた違っています。ボロボロになったMANKAIカンパニーは寸でのところで新しい"光"を宿して、また彼の好きだった劇団の面影を取り戻しています。しかもそれは、彼がヤクザであったことによって齎された結果でもあるのです。
そんな劇団の「秋組」として。誰よりも劇団のことを見守ってきた存在として。彼は果たせなかった過去と今を繋ぐ、そんな未来を見ているのだと思います。
伏見臣の背負うもの
秋組のおかんこと伏見臣の過去は、西東京最強と言われた暴走族のW総長の1人でした。荒くれ者の多い秋組の中でも、実はこと暴力という方面においては最恐のメンバーだったと言えるのではないでしょうか。
もう1人の総長にして相棒、そして唯一無二の親友であった那智を抗争で亡くしたことがキッカケとなり、暴走族から足を洗うことになる臣。親友の死があったから、彼はギリギリのところで表の世界に復帰することができた、と捉えることもできます。
しかし臣は敗北を受け入れて去ったのではなく、しっかりと報復を済ませた上で失意に溺れるように族との関係を断っています。ですから臣は暴走族に嫌気が差したのではなく、那智がいない暴走族にいる意味を感じられなくなったのではないかと思っています。
彼が普通の高校生に戻ったのは「特にやることがなくなったから」に過ぎず、何かやりたいことがあったわけではないでしょう。初登場時からどこか虚空を見詰めるような雰囲気があった理由も、このポートレイトによってようやく理解できたというところです。
「だが…いつもどこか虚しく、
何をしても熱くなれないでいた」
落ち着き払った振る舞いで、暴力と離れた趣味ばかりを持ち。過去の自分を覆い隠して決別して、本当の自分はこっちなんだと言い聞かせる。けれど顔に残った古傷は、過去の自分が犯した過ちを忘れさせてはくれない。
そんな時に那智の墓参りで出会った彼の両親から、臣は衝撃の事実を聞かされます。
「役者になること。それがあいつの夢だった」
叶えたい夢があると言っていた親友。彼の持っていた夢は、想像してたよりも明確で強く光り輝いていて。臣にだけ見せた柄にもない笑顔とその内容はきっと、臣の記憶の中で強く結びつくものだったのだと思います。
どうして夢を持つ親友が死んで、何も持っていない自分が生き残ってしまったのか。そんな答えの出ない問いの中で、臣はただただ自分を責め続けてしまいます。
臣のせいで那智は命を落としたわけではありません。だからそれは彼が悩むべきことでもなく、彼が抱えるべき罪過でもないのです。
それでも、当事者になった人間は自責の念を感じずにはいられない。「あの時、那智が死ななければ」そう思うばかりか「自分の方が死んでいれば」と、不必要な二者択一まで自分に強いてしまう。相手のことを大切に想えば想うほどに、人は自分を平気で傷付けられてしまう生き物です。
「俺は決めた!あいつの代わりに役者になろうと…!」
だから彼は親友の夢を背負って立つことにした。那智の人生まで自分が背負って、彼の分まで生きようとそう決意した。
「それで少しでも、あいつが浮かばれれば良いと!」
それが彼の打ち出す"人生最大の後悔"。
親友と共に生きられなかった、親友を夢に生きさせてやれなかった。その全ての重責を背負い込んで、彼は自分ではない者として舞台の上に上がっています。
しかしきっとそれが、伏見臣が役者として自分を出せない理由にも繋がっているのでしょう。
他人の夢を借りてそこに立っているだけの自分。犯してしまった大きな罪を覆い隠している自分。そして何より、そんな自分をどこか肯定できないでいる自分。その全てが彼の周りに分厚く強固な殻を作ってしまっているのです。
そういった感情はどうしても演技に乗ってしまう。普段は誤魔化してしまえる後ろ暗いものの存在が、簡単に他人にバレてしまう。故に、それと向き合わない限り成長することもできないのが演技というものです。
「臣くんは、それだけの理由で芝居してる?」
ですが伝わるものはそれだけではありません。それらと同様に、自分では気づいていないような本心もまた、自分の演技にはしっかりと乗って行くものだと思います。
「キッカケは友達のためだったかもしれないけど…、今の臣くんは、真剣に芝居に向き合ってるように見える」
そうやって自分では分からない自分に気付けるからこそ、お芝居は楽しい。
「それは臣くん自身も、芝居が楽しいと思ってるからじゃない?」
そして、それに気付かせてくれる仲間がいるからこそ、その時間は掛け替えのない一時となる。
「…あいつのだけじゃない」
自分の殻を破るのはいつだって一瞬の出来事で。苦悩と向き合っていた日々は、たった1人の言葉によって大きく動かされていく。
「これは…俺の夢でもあるのか」
誰でもない、誰にも分からない自分自身を見つけ出す1人芝居。それが「ポートレイト」。
振り返るべき後ろよりも、進むべき前の方が果てしない。そんな"これから"を導く彼らの冒険譚。本番を迎えた時、彼らのその努力が実っていることを祈って。全員の演目を見届けて行こうと思います。
おわりに
自分で自分を客観的に見て演じるというのは言葉で言う2億倍くらい難しいことで、演技始めたての初心者がどうこうできるような話ではありません。そもそも1人芝居を自分でプロデュースするという行為からして、既に難しいわけですから。
ただ秋組の面子全員を短期間で改良しようと思うと、こういった荒療治も必要かもしれない。年齢が上の左京と、抱えるものが明確な臣が率先して演目を完成させているのもリアル。そんなことを思いながらじっくりと楽しませてもらえた一話となりました。
今回は残り3人に言及できていませんが、来週以降で残りの3人のポートレイトも見えるはず。そこで今週感じたことも同時に文章に起こせる話創りだと判断しました。そちらもお楽しみにお待ち下さい。
『A3!』のアニメは座組が4つに6話ずつが振られている仕組み上、1人1人に割ける尺に限界があります。重い過去を持ったキャラにスポットを当てると、延々と自分語りで話が終了しかねない作風。秋組はその辺をどう捌くのかが注目点ではありました。
その自分語りをポートレイトという1人芝居を使って"魅せる"形で披露するのは、演劇をモチーフにした作品として非常に理想的な形だなと思いました。
短い時間でキャラの補完力も高く、グッと惹きつけられたように感じます。
さてさて、次回は熱意の塊である十座から始まって、芝居を舐め腐ってる万里が「人生最大の後悔を"する"」といった感じと予想。って言うかしなさい。しろ。今週は、同時期にポートレイトをやらされたら間違いなく自爆したであろう至さんが、万里に一瞬だけ熱を込めた説教をするところが見られたのも良かったですね。
ここまで息を潜めている太一くんの爆発力にも期待します。早くも3話を終え、秋組の物語も後半戦へ。盛り上がって参りましょう。それでは。
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