年末から飛んで年度末へ。
いよいよ僕にとって初めての「返礼祭」がやってきました。
返礼祭はアニメ視聴当時から何かと耳にしていたキーワード。年度末に展開される内容ということから、1つの「集大成」的な展開が用意されたイベントだと推察していました。
最初期に用意された2016年版は、2wink/UNDEAD/紅月などメインストーリーや年末に活躍したユニットたちの物語。
1年間もしくはそれ以上に連なる彼らの積み重ね。それらが描いた想いの結晶を、しっかりと読み解いて行きましょう。
目次
成長した2winkの姿
「流星のストリートライブ」では兄弟で言葉を交わし合い、2人で新たなステージへと歩みを進めた2wink。
この「思い還しの返礼祭」では、その経験を経てさらに成長した姿を見せてくれました。1年生ながらもある種の達観を得て、他のユニットよりも少し進んだ存在として振る舞います。
「2人で1つ」のユニットとして振る舞うことを意識し続けている2winkですが、日常生活ではその考え方を違った形で捉えられるようになっていました。
2人が全く同じように動くのではなく、むしろ2人ともが「自分にしか得られないもの」を求めて全く違った行動を取る。それを後から共有し合うことで、より効率的に幅広い知見と経験を得る。それが葵兄弟が辿り着いた新たな境地でした。
彼らはユニットのコンセプトとして「2人で1つ」を掲げていましたが、それはコンセプトに留まった話ではありませんでした。実際は表面的なものではなく、もっと深い気持ちでそうなることを2人ともが望んでいたことが、過去のイベントから分かっています。
人間は気持ちの所在が不明確な相手ほど、常に行動を共にしたり束縛したくなってしまうものです。相手がどう思っているか分からない。相手にどう思われているか分からない。そういった自分と相手への不安や不信が、時に悪い形で表出してしまうのです。
その結果、行動を合わせているつもりが、心はバラバラの方向を向いていたり。同じようなことをしているのに、目指している場所を違えて苦しんでしまう。それもまた珍しいことではありません。
しかし気持ちが一緒であると分かっているのならば、行動まで完全に合わせる必要はありません。むしろ別々に行動していることによって、より良い関係性の発展が生まれることもある。それに彼らは気付いたようでした。
気持ちの交流が実現したことで、彼らは本当の意味で"理解し合う"方法を見つけることができました。今回の2winkの態度からはその余裕が感じられ、普段から良質なコミュニケーションを積み重ねているのが分かります。
そして幼少期より苦楽を共にしてきた双子であることで、互いの得たものを短期間で完璧に把握できる。転じてより高いところで「1つになる」ことができ、ユニットとしてのステップアップにも繋がりました。
過去のやり取りが間違っていたわけではありません。2人ですれ違い続け、現状にあぐねながらも懸命に挑み続けてきた努力の1つ1つ。それが土台となって初めてそのコミュニケーションは実現しました。
通ってきた道が平坦ではなかったからこそ、より高い到達点を掴むことができる。
そんな希望を感じつつ、2winkの大きな成長を見届けることができたのでした。
紅月とUNDEAD
2winkに引き続き、「思い還しの返礼祭」で大きくスポットが当たった紅月とUNDEAD。
ここまでのイベントではメインストーリーで対決する程度で、キャラ単位での関連性は薄めと言って良い両者。その中で軽く示唆されていた、朔間零と蓮巳敬人の因縁が今回の物語に大きく関わることに。
以前は晃牙と朔間に蓮巳を加えた3人で「デッドマンズ」なるユニットを結成していたことが判明。一時は志を共にした仲間だったという、衝撃の事実が明かされました。
蓮巳が脱退する形でこのユニットは幕を閉じ、その後彼らは紅月とUNDEAD、別々のユニットを結成するに至ります。成り立ちからして、この2つのユニットは切っても切り離せない存在だったのです。
「思い還しの返礼祭」は、この蓮巳と朔間の後輩との接し方が対比的に語られ、最後には交わるイベントでした。
かつては行動を共にしながらも、価値観の違いから離れることを選んだ彼ら。その経緯や背景は後のイベントで明かされると考えますが、このイベントは"その差"をほのかに感じることができる内容でもあります。
それらを意識しながら、紅月とUNDEADのことを見て行きましょう。
紅月の在り方
返礼祭は卒業を迎える3年生ではなく、残される2年生以下のメンバーが中心となって開催されるドリフェス。
夢ノ咲のアイドルは学院内を中心に機能するユニットである以上、"卒業"という節目が大きな転換点となるのは当然のことです。しかし、事実だけに着目すればそれは「確固たるリーダーを失う」ということに他なりません。それはユニットその物の崩壊にさえ繋がりかねない、大きすぎる試練となって彼らを襲います。
紅月は蓮巳をリーダーに鬼龍と神崎の3人組。返礼祭を最後に上2人が脱退し、実質的に神崎のソロユニットとして再出発することになります。
ですが紅月は蓮巳敬人の冷静な判断力(※英智が絡まなければ)とリーダーシップに依存して運営されたユニットです。彼が生徒会の業務を優先すればステージに上がらないこともあるなど、アイドルとしては特殊な立ち位置にいる側面もありました。
2年生である神崎はその蓮巳の手腕に惚れ込み、紅月の一員として誇りを持って活動していました。彼の自分の役割を理解してそれに徹する立ち回り。それ自体は手放しに褒められるべき対応です。
しかし裏を返せばそれは、「上に従うことしかできない人間」と揶揄することもできるのです。構成員として優秀だった者が、リーダーとしても同様に活躍できるわけではありません。
神崎は紅月のメンバーとして優秀だった故に、上が脱退する"その後"に大きな不安を抱えてしまっていました。
そしてこれは転じて「蓮巳敬人が上に立つ者として優秀すぎた」ことの証明でもあります。
通常リーダーとメンバーの間には、運営面などでの埋められない価値観の差が存在しているもの。それがメンバーの大きな不満に繋がることは多く、リーダーは孤独で理解されない立場になりがちです。『あんスタ』にもそのような側面を持つユニットはありますね。
蓮巳はパッと見は取っ付きにくそうで説教癖もあり、どちらかと言わずともリーダーとしては嫌われるタイプです。にも関わらず神崎があそこまで100%蓮巳を慕っているのは、それだけ果たすべき責任を果たし、与えるべきものを与え、示すべきものを示しているからでしょう。
「この人に任せておけば絶対に大丈夫だ」そう思わせるだけの努力とアウトプット、コミュニケーションを行っているから、蓮巳敬人は慕われるのです。
蓮巳敬人の誤算
リーダーとして蓮巳は完璧。
だからこそ彼が抜けることによる損失はより大きなものとなります。
彼が永久にリーダーを続けられるのなら問題はなかったのですが、そうでないのであれば後続の育成にも力を入れなければなりませんでした。まして、一定のタイミングで離脱が確定しているのなら尚更のことです。
蓮巳は与えて指導するスタイルかつ、それを完璧に実行できる人間だったが故に、後輩の自主性を育てることができませんでした。神崎は目上の要求に応える実行力は得ましたが、自分で考えて行動する意識が欠落した状態で返礼祭を迎えてしまったのです。
もちろん、蓮巳は蓮巳なりのベストを尽くしていて、それは間違いではありません。ただ、全てにおいて万能な方法など存在しないというだけのこと。1つの正攻法を実行しているだけでは、実現できることとそうでないことが必ず存在します。
何となくですが、蓮巳は過去のデッドマンズでの経験から、朔間のやり方に異を唱える形で自身のリーダー論を確立したのではないかと思います。そういった反発から来る論理は極端化しやすく、功罪も明確に分かれやすいと言えます。
そして鬼龍はその蓮巳のやり方の欠点を理解しており、あえて何も言わずに返礼祭を迎えたようにも見えました。彼は彼で教え導く者としての器の持ち主。そのスキルや美学を持った上で、紅月内では蓮巳に付き従うことを選んでいます。それもまた、紅月が安定したユニットとして活動できる要因の1つと言えるでしょう。
個人を尊重したやり取り
この返礼祭は、神崎にとって今までに経験したことがない試練となりました。しかし彼は何も受け取っていないわけではありません。むしろ仕事を着実にこなすリーダーの元で活動してきたわけですから、ノウハウそのものは頭のどこかに蓄積されているはずなのです。
やってくれる目上がいる内は、やはりその存在に甘えてしまうものです。自分がやるよりも絶対に上手くこなせる人が身近に存在しているのに、自分から進んで代行しようとする者はいないでしょう。
しかしそのような場合でも「やっていないだけでスキルは身に付いている」ことは少なくありません。蓮巳はそれだけのものが神崎には備わっていると考えているようでした。その先は、本人が壁を乗り越えるメンタルを持てるかどうかに懸かっています。
今回、神崎は(独自すぎるやり方で)その蓮巳の期待に応えることに成功します。それは彼もまた、現状に甘んじてはいけないと自分で感じられていたからでした。危ない橋を渡りはしたものの、彼らの交流は正しい形で成立していたということでしょう。
世の中に完璧なやり方は存在しません。ならばこそ、個人個人に適した対応をすることが望まれます。相手のことをよく知り本質を見極め、正しい信頼を向けることで欠点の克服を促せるのです。
そういう意味で紅月のやり取りは紛れもなく"成功"に辿り着きました。結果論…と言ってしまえばそれまでですが、ちゃんと個人を尊重したやり取りが存在していたからこそ、その結果を導けた。そう解釈しても良いのではないでしょうか。
それぞれの犯した過ちと向き合いながらも、理想的な結果を収めた紅月。彼らの将来にとって「良い経験」になったと言えるはず。ここからさらに彼らが飛躍してくれることに期待したいと思います。
UNDEADの在り方
一方のUNDEADは、ここに来てもまだまだ衝突を積み重ねることに。不安定な関係性で進んできた彼ららしさとも言えるでしょう。
その衝突の原因となった男は、やはりユニットのリーダー 朔間零でした。
朔間は蓮巳と対照的に多くを語らず、指示を出さず、自らの経験と余裕でただ君臨することを選ぶリーダーです。故に彼の下に集う者はそれぞれが自由であり、強い個性を発揮することができるのです。
ただ、それは逆に自身の考えを理解させていないことでもあります。平常時は自由でラフな活動をしているからこそ、有事の際には普段抱えている問題点が一気にメンバーに襲いかかります。積み重なった不満が、そこで爆発することもあることでしょう。
朔間は自分の中では地続きとなっている考えがあったのでしょうが、それはメンバーには正確に伝わっていませんでした。特にデッドマンズ時代から活動を共にしてきた晃牙にとっては、今回は取り分け理解できないことが多すぎたという印象です。
朔間は今までこういったことを繰り返し、幾度となく下の人間を困らせてきたはずです。それでも彼の周りからは人が離れて行かず、彼を慕う後輩と仲間たちに囲まれています。
このことから、朔間零の下には、その彼を信じてついて行きたい者が集まっていることがよく分かります。
朔間零の強い想い
朔間零は基本的に放任主義を取っているリーダーです。下の者に対して何も言わないし、何も示しません。それでいて、時に理解できないような突拍子もない振る舞いをすることもあります。
しかしその発言や行動の裏には、必ず何かを持っている。確固たる考えと行動理念を持って、常に後輩たちをどこかに導こうとしています。
だから彼の下に集う者は考えます。
朔間零がどこを目指して、何を求めているのかを。
彼らはそこに眠るものが自分たちにとって有益だと信じて彼と向き合っています。今までもそうやって、「朔間零は自分たちのことを想い続けてくれていた」と分かっているのです。
その結果、彼らは「自分で行動して解決に辿り着く力」を身に付けることができているように感じます。分からないのなら分かるまで考える、もしくは行動する。朔間零に自分たちの方から歩み寄って、その領域に近付こうと努力します。
そうやって彼らは表面的な部分とは別に、深い絆を育んできたのでしょう。これは、紅月における蓮巳のやり方では絶対に得られない関係性です。
朔間零の方法論は、指導者に座る者としては褒められたものではないのかもしれません。でも感情という観点では常に深い慈しみに溢れていて、それを向けられる相手は物凄く幸せだと断言することもできます。
その強い感情をリーダー論に折り込めるだけの経験と能力、人間性を持っている。それが朔間零です。そして周りに集まる皆が、その存在の全てを信頼しています。
「この人に任せておけば絶対に大丈夫だ」そう思わせるだけの実績があるから、彼の周りには人が集まります。それは奇しくも、言葉にすれば蓮巳敬人と同じような表現になってしまうのです。
けれどその内情は全く異なっていて。
蓮巳が明確な行動によって信頼を集めているのなら、朔間は曖昧な気持ちによって信頼を集めています。
完全に真逆のやり方で、蓮巳と朔間は信頼に足るリーダーとしてそれぞれ君臨しています。
「想い還しの返礼祭」
朔間が望んでそうしていたのか、はたまたそうすることしかできない人間だったのか、それはまだ断言できません。ただ今のやり方が盤石なものではないことには、彼もまた気付いていました。
そしてそれに気付かせてくれたのは、彼の周りに集まった愛し子たちなのです。
愛でるべき対象だったはずの彼らはいつしか朔間の想像を超えて、人智の及ばない存在だった吸血鬼に「想い還し」にやってきました。
傷つけたくないから遠くに置いて、大切だから触れられないようにしても、彼らは自分たちの方から近付いてくるのです。「ダークナイトハロウィン」での凛月とのやり取りなどもあり、朔間はより強くそのことを実感していたのではないでしょうか。
その経験をもって「愛しいものへの愛の向け方を間違えていた」と、今の彼は考えているのかもしれません。ですがそのやり方をしていたからこそ、そんな朔間零だったからこそ後輩たちがついてきたのもまた事実です。
朔間零に付き従ったことでそれぞれが得難き居場所を手に入れて、そこからさらに新たな仲間と関係性を育んだ。その全てが絡み合って、か弱かった彼らは朔間零に想いを届けるに至ったのでしょう。
UNDEAD結成前から朔間のことを知る晃牙は、たくさんの経験を経て彼の心と望みを理解しました。誰の指示を受けるでもなく、彼は自分の力で朔間零の横に並び立ちます。
大好きだった昔の理想とは異なった姿になっても、きっと「朔間先輩」の本質は変わっていない。そう信じてずっと彼と向き合い続けてきた結果は、しっかりと成就しました。
同じように「朔間先輩」の魅力と本質を知る仲間たちに囲まれて、彼らは学院最後のステージを交わします。きっとこれが最初で最後、何のしらみもなく全身全霊をぶつけ合える場。その時間を大切にするように。
それぞれの想いを果たすこと
後悔と反省は、行動すれば必ずセットで伴ってくるものです。
何かが間違っていたわけではなくとも、全てが正しくはなりません。ただそこに確固たる気持ちが存在しているならば、それぞれのベストを追求して行くことはできます。
紅月とUNDEADと2wink、今の彼らの元には、ポジティブな結果がたくさん残っています。考え方ややり方は異なっていても、それを受け入れてくれる仲間たちが彼らの周りには集っているのです。
紆余曲折があっても、完璧ではなくても、今ある幸せは彼らの行動1つ1つがもたらした尊い存在です。
理想を言えばこうだった、こうすべきだった。話し始めれば枚挙に暇がありません。でも結果が良い方に転んでいるのなら、きっと彼らは「個人」として尊重し合うことに成功しています。
論理や理想は画一的なものにすぎず、全ての人に当てはまるわけではありません。
だからこそ、そこにある結果こそが「それぞれの想い」が成就した証である。僕はそう思います。
卒業は1つの終わりであり、新しい始まり。
学生たる彼らにとってその別れはあまりに大きいものです。
しかし長い人生の中では、数あるイベントの中の1つに過ぎない。後から振り返れば「大したことではなかった」とさえ思える、そんな通過点でもあります。
「想い還しの返礼祭」は1つの幕引きでありながら、未来への無限の広がりを感じさせる物語。
終わりなようで終わりではない、そんな不思議な感覚を味わうことができるストーリー。
たった1つの音から始まる、壮大なアンサンブルの1つ目のフィナーレ。それをしっかりと見させて頂きました。
おわりに
返礼祭は1つのエンディングのようなものであり、物語の集大成として位置付けられた存在。事前に聞いていた情報に違わぬ内容に、脳を揺さぶられました。
非常にたくさんの個人的な関係性が取り扱われており、それらの半分はまだまだ深く語るのが難しい部分でもあります。さらに今回で初めて判明した関係性や内容もあり、全てに触れながらこの物語を消化するのは難しいと考えました。
ですので今回は個人的なキャラへの言及は最小限に留めて、この物語の全体像を強く膨らませる方向で記事を執筆してみました。
内容量は普段よりちょい増し程度なのですが、頭脳労働的な負担はいつもの倍以上の密度があったように感じます。「結末が描かれているのに分からないことだらけ」というのがハードですね。
しかしだからこそ『あんスタ』の感想執筆は面白い。いつも新しいことにチャレンジさせてもらえる実感があって、書き手としての手応えを感じています。書き終わる度に新しい扉を開くようです。
さぁ初めての「返礼祭」を終えて、次回は初めての「追憶」ですね。アニメ序盤で触れさせてもらった「マリオネット」を改めて。ここまでの積み重ねを持って読むとどう感じるのかなど、楽しく見て行こうと思います。
それではまた次回の記事で。今回もお読み頂きありがとうございました。
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