21記事目は「爆誕☆五色に輝くスーパーノヴァ」。アニメで取り扱われたストーリーの執筆は「追憶」を除いた夢ノ咲学院の物語としては、実に10記事ぶりとなりますね。
「スーパーノヴァ」はアニメの2クール目開幕を飾ったエピソードでもあり、革命後の夢ノ咲学院の動向が初めて描かれたことでも記憶に鮮明。前向きな流星隊(守沢千秋個人?)の空気が、それまでとの変化を大きく感じさせてくれたことも印象的です。
アニメ新規としては、新たな始まりとして思い出深いイベントストーリー。今回は原作の一部としてこの「スーパーノヴァ」を改めて。
楽しんで行こうと思います。よろしければお付き合いくださいませ。
目次
アニメと原作の違い
アニメの「スーパーノヴァ」は、流星隊のキャラ見せとして彼らに重点的にスポットが当たったエピソードでした。
原作では既に感想執筆済みの「スカウト!ヒーローショウ」にて関係性が提示されており、アニメはそちらの内容まで織り込んだ内容となっていました。なので、原作とアニメの「スーパーノヴァ」は似て非なる物語だと言って良いでしょう。
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「ヒーローショウ」が風邪で倒れた千秋のために新入生たちが奮闘する物語だったならば、「スーパーノヴァ」は千秋がリーダーとして彼らに道を指し示す物語。
それに伴い、奏汰をはじめとする彼の周りに存在する三年生たちの活躍がフィーチャーされていて、全体的に上級生が中心となって話が進んで行きます。この時点で既に、アニメとは質感が全く異なりますね。
アニメはアニメで流星隊の面々の魅力が分かりやすく語られていて良かったと思いますし、実際にあの「スーパーノヴァ」のおかげで原作の流星隊の解釈はスムーズに進んでいます。
ただやはり物語の拡がりという意味では、原作にはたくさんの要素が眠っていて。キャラの動きと見せ方次第で、同じ筋のストーリーがこうも違った様相を呈すのだと感嘆するイベントでもありました。
2年目に入り、過去に取り扱われた内容の別側面が見えるようになりました。だからこそ、アニメと原作の見え方の違いも同様に「裏ではこんなことがあった」と楽しめます。
これも1つの多面性。その違いを意識した上で、原作の「スーパーノヴァ」の魅力を見て行きましょう。
「正義の味方」とは
「スーパーノヴァ」でしっかりと取り上げておきたいのは、「正義の在り方」が語られたことでしょう。
アニメでは味付けの1人としてサラッと登場しただけだった天祥院英智が、原作では物語のキーマンに。感想を執筆したイベントストーリー(※スカウトを除く)に着目すると、英智は実は久方ぶりの登場。話に挙がることは多く存在感はありますが、長台詞を見たのは久しぶり。
物語の後半で、彼は「ヒーローが嫌いだ」と宣います。"正義"とは一側面に依存した価値観でしかなく、それを敵視する者から見れば"悪"である。周りからの賞賛という結果を持って自分たちの正当性を主張しているだけで、実際は「人よりも多くの返り血を浴びた殺人者」に他ならないと。
この発言から、英智が「英雄」というものに酷く歴史的な価値しか見出していなのが分かります。実際はそんなに仰々しい話ではないとは言え、英智は多くの犠牲を黙認した上で夢ノ咲の皇帝となった男でもあります。
腐敗した組織構造を変革し、学院の歴史を塗り替えた自分自身。それを「英雄」と呼ぶことの馬鹿馬鹿しさに嫌でも目が向いてしまうところもあるでしょう。
それは、流星隊とて全くの無関係の話ではありません。劇中でも語られている通り、学院の予算は有限で、開催できるドリフェスには限りがあります。スーパーノヴァを通したことで、間接的に涙を飲んだユニットや企画があってもおかしくないのです。
その存在に目を向けずに「自分たちがやりたいから」「子供たちが喜ぶから」などの感情的な理由で行動することを、生徒会長である英智は決して看過しませんでした。"正義"を語る者として、それはあまりに短絡的で幼稚であると言わざるを得なかったからです。
「英雄」でありたいのなら自分たちの要求を通そうとうするばかりではなく、その場で評価され認められる思考と行動をセットで体現するべきだ。誰もを納得させる草案出せてこそ、夢ノ咲学院の「ヒーロー」として在ることが許される。
千秋は愚か者ではあるけれど、馬鹿ではない。今回で英智の発した台詞の中でも、特に印象的なものの1つです。考えなしで行動する欠点はあるものの、試練を与えればそれを乗り越えるだけの胆力と発想力を守沢千秋は持っている。英智はその可能性を信じて、彼らの"正義"を試して行きます。
彼らが本当に夢ノ咲学院の「正義の味方」足り得る存在なのか。その存在を認めるべき器を持っているのかどうか。
「スーパーノヴァ」は千秋の流星隊への想いの大きさを実感させてくれる物語でありながら、その裏で彼らの存在意義を問われる物語でもありました。
格好良いヒーロー
しかしながら英智が語る「英雄」像と、千秋が目指す「ヒーロー」像は厳密には異なっています。
歴史的知見によって生み出された「英雄」と、子どもたちが憧れて目標とする「ヒーロー」は似て非なる存在です。
「英雄」はその行動によって人々の理想を体現した者ですが、「ヒーロー」は人々の掲げた理想を背負って立つ偶像に過ぎません。理想を作り上げる者が「英雄」であり、作り上げられた理想を謳うのが「ヒーロー」なのです。
誰しも「もっとこうだったら良いのに」と考えて、絶対に実現されることのない世界を夢見て生きています。それは大人であれ子どもであれ、等しく持っている感情だと思います。
何かが起きるとは思っていないし、何かを起こすつもりもない。けれど存在し得ない理想を空想し、起こり得ない物語を妄想する。その一連の体験を持って人は前を向いて生きることができる。人生には、そんな側面もあるでしょう。
決して先導してほしいと思っているわけじゃない。それを他人に望んでいるわけでもない。ただ毎日を懸命に正しく生きている自分を、肯定してくれる存在が近くにいてほしい。自分は生きていても良いんだと思わせてくれる強い光を放つ者に、身近で輝いていてほしい。その願いを叶えてくれるのが「ヒーロー」という存在です。
そこに在って理想を謳い、正義の名の下に悪を裁く。現実はそんな簡単な話ばかりではないからこそ、世界のどこかにあるかもしれない"善意の勝利"に人は酔いしれます。
「英雄」のように明確な成果を出さず、実直なまでに人々の心の拠り所として機能する平和の象徴。
その存在によって人を1つにまとめるのではなく、それぞれの生きる世界を尊重して寄り添ってくれる"格好良い”存在。
守沢千秋が目指す「ヒーロー」像は、そういった概念の中にありました。彼は決して自らの行いによって君臨しようとせず、誰かの上に立ちたいとも評価されたいとも思っていないように見えています。
ただただ「ヒーロー」として皆を元気付けられる存在でありたい。弱って傷付いてくじけそうになっている人たちに、元気を与えられる存在でありたい。そして自分たちを信じてくれる人たちを、守れる存在でありたい。
彼の体現したい「ヒーロー」像は、それを知らない天祥院英智の心に届いたでしょうか。
「アイドル」と「ヒーロー」。
その在り方は違えど、目指すところはかなり近しいところにある。
それに英智が気付き、共に歩める日が来る日もなくはないような。後半には英智が登場していないからこそ、そんな可能性を妄想するのも一興ですね。
今回活躍したキャラクター達
では今回も登場キャラの気になったところについて、1人ずつ見て行きましょう。
天祥院英智
めちゃくちゃ遊園地を満喫する生徒会長。
死のリスクを理解した上でアトラクションを楽しみ、(口では「くだらない」と言いながら)恐らく最も「スーパーノヴァ」と一連の"仕事"を楽しんでいたおかしな人。
原作的には今回の物語で特に大きな印象変化があった存在で、2年目以降の英智の見せ方の指針となる物語になったのではないでしょうか。基本的にはお茶目なキャラクターだと思うので、色んなところを見て行きたい限り。
伏見弓弦
1日に「さすがです会長さま」と57回言う男。
英智が立場上おべっかの読み取りに長けているのかと思いましたが、弓弦の方が分かりやすすぎる説も浮上して混沌を極めている。
今回の物語では目立った活躍があったわけではないですが、「桃李と行動していない」ことその物に意味があると言えるでしょう。
「フラワーフェス」にてfineが最初から一枚岩でなかったことが語られたことで、彼らもまた整っていない関係性をより深めて行く必要があることが分かりました。
英智と弓弦の関係性は悪いわけではないものの、決して良好というわけではありません。あくまでもビジネス的な関係性に留まっていて、信頼関係はユニット内では希薄な方です。
桃李と渉。英智と弓弦。まずは最も脆かった部分に補強を入れることで、fine全体の信頼関係を1つにまとめ上げていく。そんな地道な努力が隠されたエピソードでもあり、彼らにとっても「スーパーノヴァ」は変革の起点となる物語でした。
守沢千秋
表では「ヒーロー」を演じるものの、裏ではしっかりと「やるべきことをやる」男。
人前でそう在るためには、人に見えないところでそう在れないのが現実です。彼はそれをよく理解しているからこそ、人前で「ヒーロー」という理想をしっかりと演じ続けることができるのでしょう。
そして彼は、その姿をメンバーである後輩たちにも見せようとはしないのです。それは千秋が「後輩たちにとっての"ヒーロー"で在りたい」と願うからだと思います。
周りのことを誰よりも考え、その理想の実現のために動ける優れた先輩。しかしそれは「同じユニットの仲間としては一線を引いている」と解釈することもできてしまいます。
先輩後輩の垣根はあるとは言え、同じステージに立つ仲間であれば横並びの精神もやはり持つ必要があるでしょう。それを流星隊全員が良い形で自覚できる日が来るのかどうか。しっかりと見守りたいと思います。
南雲鉄虎
「ヒーローショウ」の後ということで、やはり他の新入生よりも活き活きと活躍する姿が見られました。
彼自身は1年目の物語でかなり良いところまで語られているため、今後も流星隊を牽引する1年生として輝きを放つ姿が見られるのではないかと思っています。
ただまだまだ「吹っ切って活動できるようになった」ことが分かっているだけに過ぎず、そこから何を見出してどこに到達して行くのかは未知数です。
前向きでまっすぐなのは良いことですが、それ故に学ばなければならないことも多くあります。この時点では紅月への未練が完全に無くなったわけでも、コンプレックスを克服し切れたわけでもないはずです。
見える世界が拡がったことで、より明確な自分の生き方を探ることができるはず。
その行く末に期待して行きましょう。
仙石忍
過去に何度か書き込んでいますが、やはりいてくれると癒されるマスコットポジが確立されつつある忍くん。
正直なところ偏屈者があまりにも多い作品なので、こういうホッと一息つけるキャラがきゃっきゃっしてくれるシーンには凄まじい安心感がありますね。人間的にはある意味で真白友也くんより普通(なお忍者)
それが彼の売りであるとすればそれはそれでと思う反面、個性という点ではどうしても埋没してしまうのも事実。やはりどこかで、彼の人間性ともしっかり向き合ってみたいと思わされるものです。
高峯翠
アニメでも取り上げられた「普通の幸せ」と今の自分の間で揺れ動いた少年。
当時は彼のことを何も知らないままそのパーソナリティに触れた形でしたが、色々と彼のことを知った上で見る葛藤にはまた異なったアンサンブルを感じます。
いつだって隣の芝生は青く見えるもので、人間は自分の持っている幸せを正当に評価することができません。翠のような基本スタンスが後ろ向きな人間だと、その側面はより強まるかもしれません。
特に彼の場合、人前に出たくて出ているわけではないだろうこともネガティブ要因に。それも相まって、かつての同級生と自分をより悪意的に比較してしまったことが、彼の心により大きな影を落としました。
ただし今回の翠は一生懸命に練習に参加しているのはもちろん、スーパーノヴァを成功に導くための努力を惜しみませんでした。率先して着ぐるみを着てビラを配ったり、どれかと言えば他のメンバーよりも細かいところまで気を回していた印象です。
何だかんだ言いつつも流星隊の活動のことを気に入ってきていて、今のメンバーにも愛着が湧いているのは間違いないでしょう。逆にそうやって「力を入れたい」と思い始めていたからこそ、"普通"とのギャップに最も影響されやすい時期だったかもしれません。
ここまで来たらもう後戻りは難しい。そんな実感が湧いてくるのと同時に、人は掴めたかもしれない別の幸せに後ろ髪を引かれます。
そしてそれを乗り越えた時に初めて、自分の居場所の尊さに目が向けられるようになるのではないでしょうか。
この「スーパーノヴァ」は彼にとってそんな人生のターニングポイントと言って差し支えないほどに大きなもので、きっと何かがある度にこの日の出来事を思い出すでしょう。
そんな大事な一日を、最終的には極めてポジティブな感情と共に終えることができた。それは翠がこの日のことを想って、粛々と積み重ねた努力の成果に他なりません。
人前に出て人に認められることで得られる喜びの大きさは、決して普通に生きていては得られない巨大な感覚だと思います。もちろん普通の幸せにはそれとは違った良さがあり、それぞれが「そこでしか得られない幸せ」として個人の前に体現されます。
彼の今後の道程に幸多からんことを。今それを悲観するには、人生は長すぎる。
深海奏汰
「ストリートライブ」にて「意外と的確な言葉をかけられる」と言及しましたが、今回では極めて論理的な思考を取っていることに気付かされることに。
台詞が常にひらがな且つファンタジックな世界観で常に会話をしているので見落としがちですが、内容だけをすくい上げて行くとまともなことしか言っていない。衝撃。
言葉数多く相手に何も伝えない守沢千秋に代わって、彼の行動方針をサポートするような的確な指示と助言を後輩たちにかけて行きます。
要するに外的な印象がイカれているだけで、中身は至って普通の人間であるということ。現実でも喋り方や行動に特殊性がある人を「普通ではないかも?」と考えてしまいがちですが、外に出ている表現と頭の中は必ずしもリンクしていないのが人間です。偏見を持たないようにして行きたいですね(何の話)
「スーパーノヴァ」では千秋が苦手とする、もしくはあえて隠している部分を埋めて行こうと積極的に立ち回っているように見られ、2人の間には凄まじい信頼関係が存在していることが見て取れます。
ただし後輩にはその本意はまるで届いていないようで。まともなことを言っていても分かりづらいという点では千秋も奏汰も変わらず、流星隊の後輩たちは本当にコミュニケーションの苦労を強いられているなと思います。
千秋との関係性はまだまだ分からないところが多いですが、過去に想像以上に色々な悶着が合ったものと予想されます。「追憶」を楽しみに待ちましょう。
おわりに
アニメで見た時は完全に流星隊の物語だと思っていた「スーパーノヴァ」が、原作では全く違ったメッセージ性を孕んだ物語に。
もちろん原作の方が先にあるわけですから「元々こういう物語だ」と言うのが自然ではあるのですが、僕の立場からはあえて「印象が変化した」と言っておこうかと思います。
それを踏まえてアニメの創りを考えてみると、このストーリーをアニメ化することの意義や難しさも改めて感じられます。1つのストーリーで膨大な情報量がある作品の全体像を2クールで伝えなければなりませんからね。
故にファン目線では、その裏に隠された物語が伝わらないことにもどかしさを感じたのも無理はありません。アニメで展開されたストーリーに触れる度に、その点についてもどんどんと理解が及んできます。
アニメで扱われたストーリーの総数も少なくなり、原作の空気にも慣れ親しんできたと思います。それでも「アニメから入った」という点は大事にして、今後のストーリーも読んで行こうと思います。
ではまた次回の記事でお会い致しましょう。それでは。
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