2021年も気付いたら節分+1日ですね。
というわけで36番目に取り上げるのは「招福*鬼と兄弟の節分祭」です。
久々に2winkがメインを張るストーリー。時系列的には、「流星のストリートライブ」と「思い還しの返礼祭」の間を埋める時期に当たります。
感想記事としては「返礼祭」を17番目に書いているので、日日日先生執筆の双子中心エピソードは本当に久々ですね。「ストリートライブ」を書いた辺りから「節分祭」が2winkにとって重要な内容であることも伝えてもらっており、読むのを楽しみにしていたストーリーの1つです。
それでは今回もしっかり読み解いて参りましょう。是非ともお付き合いくださいませ。
目次
錯綜する兄弟概念
「招福*鬼と兄弟の節分祭」はタイトルに「兄弟」とついている通り、『あんスタ』における兄弟概念が中心となって話が進むストーリーです。
表題キャラに据わっているのは朔間零。よって朔間兄弟の話であるとするのが自然ですが、もう1つの兄弟である葵兄弟=2winkも零と深い関係を持つユニット。公開当時は、それらが複合されたストーリーであると予想した方も多かったのではないでしょうか。
思い返してみると、零と2winkは主従関係にあることは明白なのですが、零と葵兄弟の深い関係性が語られているストーリーはほとんどなかったような気がします。この「節分祭」は、ここまで零→葵兄弟の矢印が最も色濃く描かれたと言って良いでしょう。
「ダークナイトハロウィン」を経験したことで、兄弟不和がある程度は改善された朔間兄弟。「流星のストリートライブ」のトラブルにより、兄弟内の問題がより明確に露呈した2wink。新しいドリフェス形式「S3」の自由度を利用して、2つの兄弟の在り方が複雑に絡み合う強烈な物語。それが「鬼と兄弟の節分祭」です。
返礼祭にて描かれた2winkの発展と解決。それに至る2人の交流と、それを導いた朔間零と愉快な仲間たちの奔走。それらを中心に、この物語の持ち味を堪能して行きます。
"兄弟"同士の助け合い
哲学。
兄が兄で在れるのは、弟が存在しているから。本来は忌むべきものであるはずの「上から目線で威張る」という行為。それを"先に生まれた"という理由だけで無条件に保有できるのは、後から「弟が生まれた」という事実のおかげに過ぎません。
弟無くして兄は存在できず、弟はその身勝手な庇護欲とリーダーシップの犠牲者となる運命にある。だとすれば兄が自分にもたらす恩恵の全ては、その犠牲への対価として余すことなく受け取れて然るべき。と言ったところでしょう。
あくまで弟が"目上"であると考える超論理。
しかしその内容にはしっかりと筋が通っていて、明確な論理性があります。弟を持つ兄の1人としては耳が痛い話だ。
2015年では「ダークナイトハロウィン」、2016年では「バンドアンサンブル」などで不安定な情緒を見せてくれた朔間凛月。この時期になると概ねの問題を乗り越えて、かなり安定して構えてくれるキャラクターになっているなと思います。
兄とのわだかまりの大部分は払拭できたものの、依然として兄への当たりは強いままで、一見するとギスギスした空気は相変わらずに見えます。ですが人間関係とは表面的なものを維持したままに深いところが変容するものです。彼らもまた、その中身は以前とは別物になっていると考えるのが自然でしょう。
それはつまり、朔間兄弟は今の互いにとって心地良い落としどころを見つけ出せたということになります。
理想を言えば表も裏も全て仲良しで、誰が見ても円満な関係性であることに越したことはありません。しかし現実にはそういう関係は少なく、互いが「ここまでは妥協できる」といった折衷案を共有している組み合わせが大半です。
朔間兄弟で言えば、零は「凛月にあしらわれることに納得している」し、凛月は「ぞんざいに扱うことで兄者の過剰な愛情表現を看過している」わけです。そういった線引きを1つずつ細かく設定して行くことで、朔間兄弟は「仲が悪そうだけど実は良い」を少しずつ実現しているのだと思います。
"仲良し"でいること
どんなに近しい間柄であろうと、この世に全く同じ人間というのは存在しません。だから人はその違いを埋めるために寄り添い合うし、時にぶつかり合って共に歩める道筋を探すのです。
それを無理に"全く同じ"にしようとすれば関係性には無理が生じ、稼働すればするほどに互いのどこかを傷付け合うことになります。
耐えられるうちは上手く行っていてもその劣化は早く、壊れたところは後から悔いても修復することは適わない。だからこそ、完全に駄目になる前にその軋轢を修正しなければなりません。
別々の存在、違う価値観を持つ者として互いを尊重し合うことを選んだ朔間兄弟は、その重要性に強い実感を持ち始めているのだと思います。受け入れられないところはありながらも、今の方が互いのことをよく知っているし、結果として昔よりも"仲良し"になっている。これで良かったのだと互いが思えているのでしょう。
その2人――特に2winkと深い交流を持つ零から見れば、今の葵兄弟は崩壊寸前の歪みを内包した危うい関係そのもの。彼の人間性からして、兄弟を何とかして救ってあげたいと思うのは当然の流れです。
その零の人となりを知っている凛月だからこそ兄者の思惑を理解できるはず。凛月もまた"兄弟"という関係性の正しい在り方に思いを馳せられる立場にいます。
今回「ハロウィン」から地続きでの発展を感じさせてくれた朔間兄弟。それ無くしてでは、彼らが2winkの窮地に手を差し伸べることはきっとできませんでした。
そして秋の一件の中心に座って、朔間兄弟の修復を促したのは2winkです。
「兄弟は仲良くあるべき」という価値観を持った葵兄弟のおかげで、崩壊寸前だった朔間兄弟の関係は正しい発展を遂げました。
その朔間兄弟がより高次で捉えた「兄弟は"仲良く"あるべき」という価値観を持って、今度は葵兄弟を救うのです。
これほど愛に溢れた物語の動きが、他にあるでしょうか?
「兄」と「弟」
凛月の話を聞いても、同じ弟である葵ゆうたは悩みます。
朔間兄弟と違って、葵兄弟は双子の兄弟です。
彼らにとって"先に生まれた"という尺度はある意味「偶然の産物」でしかなく、その真実性を保証してくれる情報は他人からの伝聞以外にはありません。
それ故に、双子という関係性は兄弟でありながら横の繋がりになりやすいもの。キャラであっても現実の双子であっても、上下をあまり意識していない関係性に落ち着いていることが多いように思います。
アニメ『あんスタ』を見始めた時、葵兄弟について「この子たちは双子だけど兄と弟をしっかり区別しているタイプか。意外と珍しいかもな」と思ったことを思い出します。言及するほどの特異性とは感じていなかったものの、しっかりとそこに意味を持たせてくるのは流石の一言ですね。
そして現在の葵兄弟の関係性に大きなうねりを生み出す要因となったのが、皮肉にもこの「兄と弟」という概念でした。
幼い頃に父親から拒絶された過去を持つ彼らは、そのせいで2人が1つであることを良しとしなくなってしまいました。兄であるひなたが「自分が変われば気持ち悪がられることも無くなる」として、努めて弟のゆうたと違う道を歩もうとしたからです。
しかし弟のゆうたはそれを望むことはなく、自分も兄の後を追いかけて同じ存在としてあろうとすることを選びました。それが彼にとっての幸せで、2人で共にあるために必要なことでした。
少し早く生まれたという不明確な史実だけで、「兄」の責任を果たそうとしてしまったひなた。良かれと思って果たし始めた兄としての責任は、より複雑な感情となってゆうたを苦しめます。
「兄」の責任
「兄」となった葵ひなたは、自分を捨ててゆうたと違う人間を目指す。その過程でゆうたはひなたの後を追い、「弟」として前を行くひなたを追いかける。
その結果として、2人ともが元の自分から変わらざるを得なくなってしまいました。
これはひなたが父親の拒絶への対応として、「自分たちが異なる存在になること」を解決として選んだ故の帰結でしょう。2人が揃っているから化物なのだから、"違う1人"になればそれぞれが受け入れてもらえる。姿形は同じでも、パッと見で"違う"と分かるほどに全てを真逆にすれば、全ては丸く収まると彼は考えました。
残酷なことに、葵ひなたは自分を拒絶した父親のことさえも慮ってしまう少年でした。だから父親のためを想って、"普通の子ども"を目指そうと頑張れてしまいます。
対して葵ゆうたは、そんな父親を許す必要はないと考える少年です。悪辣な物言いをした父親らしき人物に敵意剥き出しの彼は、仇敵のせいで自分たちの在り方が捻じ曲げられることを良しとしていません。だから兄のその選択も、本心では到底受け入れられるわけがないのです。
受けたダメージや芽生えた感情は同じでも、それに対するリアクションの仕方は2人の間で異なっている。そしてその悲劇に際し、「兄」を自認して前に立っていたのが"変わりたがる"葵ひなたの方だった。これが葵兄弟に訪れた最も大きな不幸だったと言って良いでしょう。
もし葵ゆうたが兄となっていれば、この時に彼らは父親に反発して「元の2人のまま」でいられたのかもしれません。変わろうとするひなたが兄だった故に、変わりたくなかったゆうたまでも自分を歪める必要が出てきてしまいました。
ただしひなたは決して、ゆうたのことを蔑ろにしていたわけではないでしょう。むしろこういった事情の中でも常に最優先していたのは、「弟」を不幸な目に遭わせたくないという願いだったはず。
つまりこれらの全ては「兄」の身勝手な考えではなく、「兄」が「弟」を想うが故に下した結論で。ひなたが自分を変容させることを選んだ理由は、ただただゆうたに幸せになってほしいからなのは確実です。
それをゆうたも分かっているから、その「兄」の行動を否定することは決してできない。逃れられない袋小路の中でひたすらに同じことを繰り返す。それを甘受するしかない故に、「弟」はなお辛く、苦しいのです。
「弟」の責任
自分のために「兄」が自分を捨ててまで頑張ろうとしたこと。「兄」が自分から離れて行こうとしたこと。その全てが自分が「弟」であったことによってもたらされらものであると自覚できてしまうから、葵ゆうたは悩みます。
兄と弟は生まれながらにして決められた序列。本人たちに選べるものではないからこそ、弟は兄からの施しを当然のように受けられる。本来であれば正論足る凛月のこの主張は、葵兄弟には必ずしも通用しません。
もし「兄」が弟であり、「弟」が兄であったなら。
その選択を取ることも、彼らには不可能ではなかったからです。
ゆうたは兄の責任を被るひなたに、一方的な感情をぶつけることはできません。自分の代わりにその責任を全力で全うする「兄」を無下にすることなど、できるはずがないでしょう。
そうやってここまで「兄」のことを尊重して歩んできたのに、彼らの歪みは大きくなり続けていたのが現実です。無理もありません。ゆうたはその過程で常に心と身体を切り裂かれ続けていたのですから。そして傷付けられることに永遠に耐えられる人間など、この世には1人として存在していません。
周りのために自分を捨てて、「弟」にはそのままでいてほしいと願った「兄」の想い。一見すれば美しい兄弟愛。けれど「兄」と共に在りたいと願った「弟」からすれば、それは自分自身を切り離して捨てられたのと同じこと。
共に在ることが大前提だった「弟」は、「兄」の行動をそう解釈しました。それでも共に在りたいことに変わりはない。だから「弟」もまた、自分を同じように変えて「兄」の後を付いて行くしかありません。
何度捨てられても、何度違う人間になっても、2人で1つでいるために「兄」の後をついていく。
それが自分にとっても同様に、積み重ねた半身を捨てる行為であっても。「兄」を独りにすることだけは絶対にしない。それが半身たる葵ひなたに「兄」という責任を全うさせた、「弟」葵ゆうたの持つ責任感でした。
ひなたは兄として、「弟」であるゆうたを守り導くこと。ゆうたは「弟」として、その「兄」を独りぼっちで前に立たせないこと。それぞれの責任感と思いやりは、本当に尊く優しさに満ち溢れています。ただそれ故に2つの感情が決して交わることはなく、突かず離れずの距離で2人の心を摩耗させ続けてしまいました。
けれどその関係性にも、新たな変化が訪れようとしています。
何故なら今の彼らは葵兄弟ではなく2winkでもあるから。夢ノ咲学院で彼らを取り巻く人々の中には、その危うさに気付き手を差し伸べてくれる人もいるからです。
そしてそれらは葵ひなたと葵ゆうたに異なる新たな価値観を宿らせて。後を追うばかりだった「弟」は遂に、この節分祭にて「兄」の身体を掴んでその気持ちを届けることに成功したのです。
朔間零の手練手管
新設されたS3としては類を見ない、学院全体を巻き込んだドリフェスとなった「節分祭」は、本当に様々な思惑が絡み合って実現したイベントでした。
次代生徒会長候補として衣更真緒を育てておきたい蓮巳敬人は、旧知の仲であることを理由に朔間零が腹に抱える思惑と利害を一致させました。放送委員長の仁兎なずなは、今後のために「校内TV番組」を復活させようと考え、その足掛かりにするため節分祭の企画に乗っかります。
零は企画の中に優勝した際の単独ライブを盛り込むことで、学院全体の総動員を実現。
その上で五奇人の友人である逆先夏目を言葉巧みに焚き付けて協力させ、彼の魔法の力を持ってイベント全体の進行を掌握します。さらに自分の考えを何となく感じ取ってくれる弟 朔間凛月との「信頼関係」と「周りからのイメージ」を活用し、怪しまれることなくスマートに思い描いたシナリオを上演しました。
2winkの2人を主役に据えさせて、夢ノ咲学院全体を押して彼らの関係性を修復する。
彼らが心の底から今の自分たちを曝け出してやり取りにするには、半ば強制的とも言える劇的な展開が必要です。それらを自身の持つ人脈と実力を持って、零はあまりにも完璧に創り上げてしまいました。
正に夢ノ咲学院を牛耳る魔王。「節分祭」は紛れもなく2winkの2人が主役となったストーリーでありながら、それを思惑通りに体現した裏の顔 朔間零の手練手管に舌を巻く物語でもありました。
全ての人たちの想い
そしてそれだけ多くの人が動き回れば、本筋とは異なるところで紡がれる物語があります。
最も輝くのは主役の2人には違いなくとも、そこに至るまでに登場したキャラクターたちには、それぞれ「彼がいなければ為し得なかった」と言わせるだけの活躍があります。
「……そっちの葵兄弟は逆に、不自然なぐらい仲良しっぽく振る舞ってるよな。おまえらって、そんなにお互い気を遣う感じだったか?」
努めて上手く振る舞っているつもりでも、敏感なものにはやはり見抜かれる。
朔間兄弟の在り様をして"兄弟"という価値観を認識する真緒からすれば、100%の齟齬もなく仲良くしようとする葵兄弟が、途轍もなく不自然に映るのでしょう。
「何だかむしろ他人みたいだぞ、今のお前らは」
そんなことをしなくても心の奥底で繋がっているのが兄弟。違う人間性や趣味や感性を持っていても、その違いを容認して深い繋がりを認識できるのが肉親というものです。表面的な仲を取り繕うのは、そうしなければ信頼を保てない者のすることですから。
その指摘をズバリ受けたことで、ゆうたがひなたとぶつかり合おうと決意したのは間違いないと思います。
真緒にとっては何てことない一言だったでしょうが、それが葵兄弟にとってはとても重要でした。そしてこれは、この一件に真緒が絡んでいなければ実現しなかったやり取りです。
「宙は今、幸せです! 毎日毎日、楽しくって踊りだしたくなっちゃうな~♪」
一方のひなたは、学院で友人となった春川宙と行動を共にしていました。どこかずれているからこそ、深い友達になることができたひなたと宙。その関係性があって、夏目も零の作戦に善意で協力することを決めました。
「ひなちゃんは、ちがいますか?」
宙も夢ノ咲でアイドルになるまで、その境遇から友人をまともに作ることができなかった"訳アリ"な少年です。宙もまたこの学院で大きな変化と大切なものを掴めたから、今輝きを放てているのでしょう。
だから「昔出会えていたらもっと良かったのかも」そう言ったひなたの弁を宙は否定しました。それは今のひなたと宙が昔に出会えていたらの話で、昔の2人が出会ったからと言って上手く行くとは限らない。宙はそのことを理解しているようでした。
そんな彼だからこそ、今こうしてひなたと友人関係になれたことを心の底から喜んでいる。たらればの話をせずに、今ある幸せを精一杯に噛み締めることができています。
「ひなちゃんは、幸せですか?」
宙から無垢に向けられるその言葉は、ひなたの心の傷を残酷にも抉り取ります。しかしそれは葵兄弟が正しい交流を結ぶのに必要なこと。ひなたが覆い隠して無かったことにした"個人"としての感情を、白日の下に晒す役割を宙は担いました。
朔間零はただただシナリオの筋に沿うために、大勢のエキストラを巻き込んだわけではありませんでした。ズレてボロボロになった葵兄弟の心を治療するのに必要な人々を、しっかりと集めていたのです。
自分独りでは決して為し得なかった最高の解決を導くために、大きな遠回りをして彼らの心にそれを届ける。
そこまで織り込んで零は行動しています。それだけたくさんの交流の上に立つ場であったから、ひなたとゆうたは未だかつてないほどに自分の本心をぶつけ合うことができたのだと思います。
多くのものが2人のためだけに実を結ばせた節分祭のフィナーレは、今までにない正しい交流となって、葵兄弟を痛めつけ続けた心のズレを修正しました。
まだ全てが解決したわけではないけれど、正しく繋がった彼らの絆はここからより良い発展を遂げて行くことが必ずできるでしょう。
「双子」と「アイドル」
想いをぶつけ合った先。節分祭のエンディングを飾るのは、最後まで生き残った2winkのライブパフォーマンスです。
今の葵ひなたと葵ゆうたは2人だけで交流を積み重ねる兄弟ではなく、2人の在り方によって他者を魅了するアイドルでもあります。
プライベートな関係でありながら、ビジネス的なやり取りを必要とする関係性を持つ。そのおかげで彼らは「別々の人間として道を歩みながら、同じものを共有する必要がある2人」となりました。
ただの兄弟であれば道を別ってしまえばそれっきり。決別は新たな門出となり、2人は自ずと違う居場所へと自分たちを動かすことになるのでしょう。
しかし彼らはそうではない。2人が全く一緒であることを望んでくれる場所があって、その姿を見せることで喜んでくれる人たちがいる。アイドル活動は2人が想いを通わす必要のあるステージとして、彼らの眼の前を光で包んでくれています。
葵兄弟は2winkである限り、2人である意味を失うことはありません。たとえ別々の道を歩んでも、どちらかが独りぼっちになろうとしてしまっても。彼らに宿る2winkという存在が、必ず彼らを同じ居場所へと手繰り寄せるはず。
ある場所では鬼子などと忌避されている双子も、別の場所では幸福の象徴として重用されることもある。捉え方と考え方は千差万別。だからこそ、彼らは自分で自分たちを必要としてくれる場所を作り出すことができます。
自分たちを嫌う者のために、わざわざ人生を棒に振る必要はありません。ただ愛してくれる人たちのために全力を持って尽くせばそれで良いのです。
『梅の精』の衣装に身を包み、屈託なく華麗に舞う2人の姿はきっと多くの人の心を魅了したことでしょう。
双子としての自分たちが認められるその先には、きっと兄弟としての彼らのより大きな幸せが眠っているに違いありません。
願わくば2winkと葵兄弟の幸せが、完全に1つのものとなる日が来ますように。その後の彼らが見せるより大きな輝きが、また感じ取れる機会が来ることに期待します。
おわりに
「ストリートライブ」を通して気持ちをぶつけ合えるようになった2winkの2人には、続いて実際にぶつかり合うための場が必要でした。
2015年~2016年ではそれが語られることなく「返礼祭」へと繋がったため、彼らが何かしらの交流と納得を得て結論を導いていたことは伝わっていました。それがどういうものであったのかが語られたのが、今回の「節分祭」の主たる内容でした。
「返礼祭」にて相応のやり取りがあったことは分かっていたのですが、蓋を開けてみると混迷に混迷を極めていてかなりしんどいお話に。
正直なところ、2人の感情は凄まじく複雑なものであるため、1つの解釈に断定するのは無理な話だと思っています。僕の感想記事はできるだけ公共的に(作品が本質的に打ち出している解釈を優先して)明文化することを旨としていますが、今回について「これだ!」という自信があるかと言われると首を傾げてしまいます。
特にゆうたは過去の発言を踏まえると「2人で1つでいたいと思っているが、双子を売りにした仕事ばかりを取るべきではない」「兄の後を追いかけてはいるが、趣味や好みは全くと言って良いほど真逆」など、どうにも矛盾しているとしか思えない発言が散見されます。
これを「作劇の矛盾点」とバッサリ切ってしまうことも当然間違いではないのですが、葵兄弟の抱える精神的問題はこういった矛盾を孕んでしかるべきものです。つまるところ彼ら自身の脳内で、自身の感情の整合性が取れていないとしても何ら不自然ではないと思っています。
人間とは常に自己矛盾の中でせめぎ合っている生き物ですし、『あんスタ』のような倒錯的な書き込みが為されている作品においては特に、全ての辻褄が合っている方がアンリアルでしょう。こういった要素を有意味と見て解釈を楽しむことこそ、群像劇の楽しみですよね。
例えるならば、現実の友人の発言を拾い集めて、別の友人と「あいつってこういう人間だよね」「でも前はこう言ってなかった?」「確かに。じゃあこの状況とあの状況で、あいつの中では違うんじゃない?」と言い合っている感覚でしょうか。
100%紐解けない部分があってこそ、物語の真実味は増すものです。
この「節分祭」は、その『あんスタ』の魅力を新たに深掘りして行けるような内容だったと思います。
こういうお話が続くと執筆的にはしんどいですが、長文感想記事としての存在意義は増すでしょう。今後とも皆さんと楽しんで行ければ幸いです。
それでは今回はこの辺りで。『超感想エンタミア』のはつでした。また次回。
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