斬新すぎる演出と社会派ストーリーでネットを賑わす『Fairy蘭丸』も第3話。
第2話で大筋の方向性や作風は可視化され、楽しみ方は理解できたという感じに。しかし逆に、夭聖たちの関係性や世界観については大きな拡がりが垣間見え、やはり一筋縄では行かない展開が待ち受けているのを予感させます。
その第2話を受けて、否応なく物語の発展に期待を持ってしまうのがこの第3話「嫉妬」です。
前回から連なった安定した一話になるのか、はたまた視聴者の想像を超えたものがまたも繰り出されるのか。その内容が今後の『F蘭』を見る上での心構えを、大きく左右することになるのは明白でした。
蓋を開けてみれば色々と"伝説"になりそうなシーンが満載の第3話。その一部始終を紐解いて参りましょう。
火焔族と水潤族
『F蘭』の第2話以降は、純粋なキャラクター当番回。前回は担当となった歩照瀬焔が見事に愛著を確保。その熱い心で視聴者をしっかりと魅せてくれました。
その焔の活躍を陰で煽り、敵愾心を燃やす者。それが水潤族の清怜うるうでした。第3話ではこのうるうが、物語を動かすキーパーソンです。
論理的に冷静に物事を捉え、感情を制御して使命の遂行に当たる。水潤族らしい高貴なアプローチは一際強い異彩を放ち、人間界でも多くの人を魅了して止みません。
ですが彼の振る舞いはどこか機械的で、外側から塗り固めて固定したような不気味さを孕んでいるようにも思えます。自分の本心とは別のところで、努めて今の振る舞いを演じている。そんな空気を醸しているのも事実です。
そんなうるうにとって、焔は数少ない強い激情をぶつける相手になってしまっているようでした。
夭聖界では火焔族と水潤族は犬猿の仲であり、「火焔族である」というだけでうるうは焔を嫌っている。そんな状態では、焔側も歩み寄ろうと思うはずもないでしょう。
個人単位で話をすれば分かり合える部分もあると思うのですが、それは最初からうるうの選択肢に挙がっていません。何故ならそんな"しがらみ"さえもが、彼にとって守るべき価値観とも言えるものだったからです。
幼い頃から夭聖界の政を司る水潤族の後継者として育てられたうるうは、両親から厳しい教育を受け続けてきました。褒められることもほとんどなく、全てのことが"できて当たり前"。虐待まがいな叱責を受けることもあったようで、その考えや思想は完全に親の影響下にあります。
完璧でいることが清怜うるうのアイデンティティであり、一族の誇りを継承することが彼の人生を懸けて果たすべき使命でした。故にうるうには、焔との対話その物が忌むべき行為になってしまっていたのです。
「ガタガタ言うんだったら、お前もやれば良いだろ。お仕事ってやつを」
その焔が自分より先に愛著を回収してしまったという現実。
それは冷静沈着なうるうの心に綻びを生じさせ、強い憤怒や嫉妬をその心の内に宿らせています。本人がそのことについて自覚的であるかには、どうにも懐疑的な部分があるのですが。
「君には絶対に負けはしない…!」
「そういうの、疲れねぇか?」
火焔族の人間よりも、自分は優秀でなければならない。
そんな危うい劣情を心の内に秘めたうるうが、新たな愛著を探し出す挑戦の一幕。第3話で描かれたのは、そのような物語となりました。
満たされない女性 伊代
愛著を回収するためにうるうが目をつけた相手は、2.5次元舞台で人気を博す若手俳優 宗次を彼氏に持つ女性 伊代でした。
宗次が駆け出しの頃からのファンだった伊代は、今ではパートナーとして彼を支える存在に。しかし当の宗次は彼女の内助の功に意識を向けることもなく、彼女を"都合の良い女"として消費する男になり果てています。ロールキャベツは手間も時間もかかる料理です。絶対に許せん。
ファンとして彼を応援したいという思いと、1人の女性として彼氏に愛されたいという想いは全く別のものです。憧れの俳優と時間を共有できることは嬉しくとも、愛されている実感がなければ満たされない心があります。
心の空白は周りへの嫉妬を呼び起こし、その感情は正常な思考を鈍らせます。彼氏に迷惑をかけたくないという気持ちと、1人の女性としての自尊心。その2つをギリギリで両立させようとした結果として彼女が取った行動が、いわゆる「SNSへの匂わせ投稿」だったというわけです。
当然ながら、そういったアピールにファンは敏感に気付くもの。ネットで話題になれば、背景を知り得ない者たちに「性悪女」として叩かれる未来が待っています。ですが向けられる負の感情さえも、伊代にとっては優越感を満たすエネルギーになるのです。
本当はそんなもので埋めたい空白ではないはずなのに、想いを向けてほしい相手から得られるものは何もない。自分で自分を納得させるために、虚しい執着に走る。彼氏に尽くすと決めている今の伊代にとっては、それだけが自身の存在を肯定できる手段でした。
うるうとの出会い
「綺麗な男の子…」
現状に打ちひしがれる彼女にそっと寄り添ったうるうは、「BAR F」の名刺を渡してその場を去ります。
彼がどのようにして伊代のことを知ったのかは分かりませんが、1話でも蘭丸が愛著の存在を感知していた描写がありました。救済対象の相手をある程度まで見極める能力が、夭聖には備わっているのかもしれません。
前2人と異なっていたのは、うるう自身が人間の感情を無駄なものだと吐き捨てていたことです。
感情的に相手に寄り添うことで「結果的に愛著を手に入れた」蘭丸と焔と違い、うるうはあくまで「愛著を手に入れるために行動」しています。論理的・打算的に動いたと考える方が自然でしょう。
そう思うと恋愛関係で鬱屈した感情を持っている伊代は、うるうにとって懐柔しやすい相手だと解釈できます。
そもそも彼女はファンという垣根を超えて俳優と付き合う節操のなさを持っており、それだけ自身の欲望に忠実な女性であると捉えることができます。今回はモラハラを受ける被害者として登場していますが、根源的にはルールやマナーを遵守する人間性の持ち主ではありません。
「私が彼を…頑張って支えていたのに…」
更に言えば遍歴を考えると重度の面食いであることはほぼ間違いなく、「"綺麗な男の子"に優しくされればコロッと落ちる」側面があるのも否めないでしょう。
最終的には好意と献身を浮気という形で無下にされたことで、彼女の立場はより不安定なものに。
そのどうしようもない感情を、当てつける場所と相手が必要となりました。ともすれば、大した関係性もない美少年であるうるうこそ、刹那的に身を委ねる相手としては適切とも思えます。
「お願い…分かって…」
うるうがどこまで計算して彼女を選んだかは分かりませんが、少なくとも蘭丸や焔と比較すると非常にスマートでパフォーマンスの高い流れで愛著まで辿り着いています。
「――分かりません」
しかも自身の持つ身体的ポテンシャルを上手く利用している辺りも含めて、クールかつ論理的。人の感情を否定しながらもそれを抱き込むメソッドで伊代の心の隙間に入り込み、完璧な仕事ぶりを見せてくれました。
禁忌解放!愛!潤沢!
「どんなに泣き叫んだって、世界は変えられない」
伊代は愛著を回収する相手として選んだ依頼人に過ぎない。にも関わらず、一度だけうるうが彼女に対し、強い感情を露わにしたシーンがありました。
「だから僕が…貴女の心、お助けします!」
最後の最後、彼女の心に本当に寄り添わなければならない瞬間において。うるうは確かに伊代に自身の感情をぶつけていたと思います。やはりどこかで、彼女の在り方に共感できる部分があったのかもしれません。
酷く論理的に物事を進めようとしているうるうですが、その実、行動方針の決定は感情によって取り決められているようにも感じられます。そこから心のどこかで本心を論理によって制圧し、自身を縛り付けることで"正しさ"を意識的に保っています。
故に彼の行いは「正しいと思われること」が全てのベース。
自身が正しいと思っているかどうか、その主観は基本的には行動から度外視されてしまっています。
他人から認められることに全評価が集中しており、それに繋がらない時間を"無駄なもの"として唾棄する。しかしそれに繋がる時間には、本来の彼が持っている感情が顔を出すこともあるようです。
「禁忌解放!愛!潤沢!
水潤の夭聖うるう、降臨!」
彼の変身シーンとその姿には、本当は外に出したい自分の心が反映されているのかもしれない。
そんなことを思わせる大胆な変貌で、我々視聴者に自らが遵守する"正しさ"の在り様を見せつけてくるのです。
冷静沈着 清怜うるう
雨降り さんざんな目に遭って
それでも 人は懲りずに恋をする
時折 さんざめく胸の不思議に
浮世は今雨模様
うるうが辿り着いた宗次の心象は、和を重んじる作品の主役を張っている彼らしい侘び寂びの(?)利いた世界です。
夭聖の介入を受けると愛著の持ち主はその本心を曝け出されてしまうのか、宗次もその傲慢さをこれでもかというほどに発露していました。
何者にも縛られたくないという自己中心的な思考を、これでもかと言うほどの罵詈雑言に代えて叫び散らすのです。それにしても斉藤壮馬くん、やっぱこの手の役上手すぎるな???
うるうはその内容に臆することも動揺することもなく、変身前とほぼ変わらない冷静さで使命遂行の最短ルートを模索します。もはやお約束となりつつある「そこか!」「違うか」のノルマを回収しても、心を不要に乱すことはありません。
ですが他の2人に比べるとどこか「心ここに在らず」といった印象もあり、自身の持つ力の奮い方を100%マスターしているわけではないようです。直情的に行動し、戦闘もそれに準じていた蘭丸と焔に比べると、「安定感はあるもののどこか突き抜けない部分がある」と言った感じでしょうか。
夭聖は愛著を持つ2人の心を繋ぎ、その中で力を振るう存在です。本心に蓋をしていたり、覆い隠している気持ちがあると、その全ての力を使い切ることはできないのかもしれません(※憶測)
「どうだ…!
束縛される苦しみをとくと味わえ…!」
そのわずかな隙を宗次に捉えられてしまい、蛸壺による完全拘束を受けてしまいます。身動きが取れない状態かつあり得ないほどに煽情的でエロティックな拘束は、ある意味でアニメ業界に残る伝説の1つとなったような気がします。いやどういうことなのこれ。
束縛と愛情
筋骨隆々のエロマッチョが局部限界ギリギリの際どい位置を攻められ、触手で頬を撫でられるシーンのどこに需要があるというのだろうか。
ニッチオブ二ッチ、地上波のアニメでやるべきことではない。「人間を見ていると、十訓で禁じられた感情を持つのは、本当に無駄なことなんだと思うけどね」そんなうるうの台詞の意味を冷静に咀嚼して「そうですね」と返したくなるこの一幕。
分からないけど、恐らくこれは(一般的に言えば)「誰もやって来なかった=やる価値のないもの」の1つだと思います。けれども、それを全力で"物語の一部"にしてしまうのが『F蘭』の面白いところでもあるしょう。
振り解けないほどに強く拘束され、万事休すとなったうるう。その窮地を打ち破ったのは、彼の記憶の奥底に定着した幼少期の記憶でした。
両親から正しさを強要され、誤ったことを許されなかったかつての自分。それは辛く苦しいトラウマのようなものでもあるでしょう。しかし彼が今の自分の在り方に一定の納得を持っているのならば、その"教育"は必要なものであった解釈されているはずです。
故に束縛されることは、彼にとって「愛情」を向けられることと同意義でした。
生物はどこまで行っても愛を求めてしまうもの。たとえ歪んだ形でもそれしか与えられないのなら、目の前の"愛"に縋るしかないのです。
宗次が最も忌み嫌い押し付けようとした束縛は、うるうにとっては心に刻まれた"愛"そのものです。強く縛られることによってうるうはその秘めたる力を解放させ、敵対存在を一撃の元に凍てつかせて破壊しました。
「オン マヤルタ ハリキラ」
本当はもっと別の形を欲していたのかもしれない。ですが存在しない過去に、変えられない世界に拘泥しても仕方がない。それまでの経験・今ある感情こそが自分を作り上げた全てであり、それを制御して使い切ることでしか人は生きられない。それはきっと、夭聖にとっても同じことでしょう。
「心根解錠!
聖母、被昇天!」
今はただ自身の使命を果たすために、目の前のものを全力で叩き伏せるのみ。
清怜うるうにとって必要なことはそれ以上でも以下でもなく、彼の求める"正しい生き方"とは目の前のことと向き合う中にしか存在していません。
「GO TO…
HEA――――――――VEN!!」
それがどこかで彼の心に引っ掛かりを残すものであったとしても、彼独りでその解決を導くのは難しい。他人の心を鞭で縛り付けながら、自身をも同様に縛り付けようとするうるう。その在り方には、執拗に清純で在ろうとする彼の心の内が透けて見えるようです。
愛著を集める旅の中で関わる仲間と人間たち。その全てが、うるう自身が気付いていない本当の自分を手にすることに繋がって行ってほしいと、そう願っています。
泣いてるね
宗次の愛著を回収し、今回の騒動も一件落着。そう思われた矢先、うるうは他2人とは異なる衝撃の行動に出ました。
それは依頼人である伊代の心に宿った愛著をも回収してしまったこと。
恋愛は最も人の心を大きく狂わせる。痴情のもつれは決して片方だけが悪いことはなく、双方に何かしらの瑕疵があるからこそ巻き起こります。
つまり恋愛で傷付いた相手を依頼人に選べば、依頼人も確実に何かしらの負の念=愛著を露出する。ともすれば、1件で2つの愛著を同時に手に入れることも可能である。うるうは最初からそれを見越した上で、伊代の心に寄り添ったように見えました。
依頼人を手にかけることは夭聖界のルールに違反するそうで、うるうとてそれを知らなかったわけではないでしょう。清純であることを一番とするはずの彼が、それを受け入れてまでも「より多くの愛著を集める」という結果を優先した。そこにもまた、彼の歪みがあるように思われます。
火焔族の焔に先を越された以上は、スピード以外の点で彼を上回る必要がある。その対抗心が、うるうを掟破りに走らせた。そう考えるのが自然です。
しかし、うるうの心の内には「束縛を是」とする価値観があります。
縛られることに幸福を覚えてしまう彼は、罰を罰と認識していません。むしろ、自分の行動に"罰"を与えられることまでがセットとなっている。そこまで含めて生の実感を得ているようにも思えます。
幼少期の記憶の中で彼が鮮烈に覚えているのは、教育の記憶だけではありません。まぶたの裏に焼き付いて離れないもう1つの出来事。
情愛に狂い色欲に溺れる母親の姿は、"正しさ"に向き合う彼の心に深く強い闇を落としています。
よく確認すると相手の男性は、劇中で登場したうるうの父親の外見とは異なっているように見えました。それが正装を崩した両親のあられもない姿なのか、はたまた別人と情事に耽る母親だったのかで今後の解釈は大きく異なりそうです。
どちらにせよ今分かることは、その闇の存在を覆い隠し、綺麗なもので蓋をしてなかったことにしようとしている。それが今の清怜うるうという夭聖の本質だということです。
「…泣いてるね」
事実や状況を見る者ばかりが周りにいれば、そのうるうの異質さに気付くことはなかったのかもしれません。ですが今のうるうの傍には、相手の感情に敏感に反応して行動を起こす阿以蘭丸が存在しています。それが1つの大きな救いとなることでしょう。
「――心が」
その自分に"納得"していれば、人は生きていくことができる。誰しも本当の自分を曝け出せる場所を持っているわけではありません。だから「今のうるうが不幸である」と、そう断定するのはおこがましいことであると僕は思います。
けれど、そうできるとしたら。本当の自分を見つけてくれる相手が、人生の中に存在しているとしたら。それはより良いうるうの在り方を、見つけ出してくれるに違いありません。
物語はまだ第3話。起承転結で言えば「起」が終わったに過ぎない頃合いです。今あるものが花開くにはもう少し時間がかかります。しっかりと押さえた上で、この後の『F蘭』を追いかけて参りましょう。
おわりに
真面目な感想を書いてきましたが、第3話は色んな意味で際どすぎる一回であり、見ていて「これ本当に大丈夫か?」と思わせられるところが幾つもありました。これは面白い!(ゴリ押し)
映像演出のダイナミックさはもちろんのこと、個人的にはうるうくんの複雑すぎる心情と設定の濃さには度肝を抜かれました。
最近の作品に登場する真面目知的クール枠のキャラは、総じて「こういう人生を歩んできたのでこうなった」というバックボーンの存在を持って完成する印象があります。
うるうについてもやはりそこは注目点。ですが蓋を開けてみたら想像以上に様々な要素が詰め込まれまくっていて、逆に「もう良い分かったから…」と言いたくなるような凄まじいキャラに変化してしまったという感じです。
今後『F蘭』の話を他人にするとしたら、とりあえず清怜うるうというキャラのヤバさから入るだろう。そう思わせてくれる内容の第3話でした。
余談ですが、蛸壺がいやにエロティックな束縛方法を選んだ理由として、宗次が同性愛者だったというオチが用意されていたのは流石と言ったところです。劇中で提示される演出の中に、理由無きものは1つとして存在しない。そんなクリエイティビティが見られるのも『Fairy蘭丸』の魅力ですよね。
さぁこうなってくると残り2人へのハードルも上がるというものです。4話以降がどのような話になるのか、期待して見て行くことに致しましょう。
それでは今回の記事はこれにて終了。「超感想エンタミア」のはつでした。また次回の記事で~!
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