2023年11月5日をもち、堂々完結となったTVアニメシリーズ『進撃の巨人』。
先んじて原作で最後を見届けていた身ではありましたが、アニメの圧倒的なクオリティ、そして諌山先生の「当コンテンツは、これにて終了」の一筆は、終焉の感傷を再び齎してくれるものでした。
そんなTVアニメ最後のメインテーマ、そして配信(各話版)最後のOPテーマを彩ってくれたのが、リンホラこと我らがLinked Horizonです。
リンホラは「The Final Season」以降の主題歌はOP&ED共に務めておらず、最後の最後で満を持しての帰還となりました。
10年前、「紅蓮の弓矢」という楽曲と共に日本のアニメファンを震撼させた彼の日は今なお記憶に鮮明であり、それ以降も多くの楽曲で『進撃』の世界を彩ってくれたLinked Horizon。
最後にリンホラの再起用を望んでいた方も多かったのではないでしょうか。それを叶えてくれた現アニメスタッフの粋な計らいには、感謝の念が堪えません。
この記事では物語の最後を飾った「最後の巨人」「二千年...若しくは...二万年後の君へ・・・」の魅力をしっかり紐解いていこうと思います。
『進撃の軌跡』以降、全ての『進撃』関連のCDの感想記事を執筆してきました。僕にとってもこれが最後の『進撃』リンホラ記事になるかもしれません。
続きを見る『進撃の軌跡』をまだ聴いていない『進撃』ファンへ。14,000字ロングレビュー
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よう、4年ぶりだな…。今まで読んでくれていた方も今回初めましての方も、よろしければ最後までお付き合い下さい。
(※今回もRevo氏の継承―—もとい敬称は敬愛を持って略させて頂きます)
最後の巨人
何かが欲しくて 伸ばした手は黄昏に染まる
何処かへ行きたくて 駈け出した足で
誰かを――踏み潰した
配信版で封切りされた「最後の巨人」は、時系列的にはLinked Horizonが最後に世に打ち出したTVアニメ主題歌です。
TV放送をリアルタイム視聴した方には、実は聴く機会がないかもしれません。YouTubeなどでOP映像や楽曲を楽しむことができますので、まだの方は映像と併せて是非ご一聴ください。
「最後の巨人」は『進撃』ファンにとって、最も聴き馴染みの深いリンホラ楽曲ではないでしょうか。『紅蓮の弓矢』から始まり『憧憬と屍の道』まで。一貫して展開してきたイメージを踏襲した最後の一曲です。
歌い出しはEDテーマ「暁の鎮魂歌」でもお馴染み、すずかけ児童合唱団の歌唱から始まります。
児童合唱団の歌唱は様々な関連楽曲に起用されていますが、基本的に『進撃』の世界観を表現するパートを歌い上げている印象があります。
この「最後の巨人」では彼らの歌唱をRevoが"踏み潰す"表現から楽曲が一気に加速します。これは主人公であるエレン・イェーガーが、地鳴らしで"世界"その物を蹂躙していることを表現しているのでしょう。
関連楽曲に触れていれば触れているほど、その楽しみが増えるのがリンホラ楽曲の真骨頂。開幕から早速その香りを堪能させてくれました。
その後に訪れるAメロでは、歌詞に歴代OP(※リンホラ以外の楽曲も含む)のタイトルを思わせるフレーズが挿入されています。
"弓矢"のように飛び出した
(「紅蓮の弓矢」/ Linked Horizon)
"自由"を夢見た奴隷は
(「自由の翼」/ Linked Horizon)
いくつもの"《心臓》"見送って
(「心臓を捧げよ!」/ Linked Horizon)
"紅に染る鳥"と成る
(「Red Swan」/ YOSHIKI feat.HYDE)
"屍を敷き詰めた道"は
(「憧憬と屍の道」/ Linked Horizon)
"争い"を辿り 海を越え
(「僕らの戦争」/ 神聖かまってちゃん)
ただ大きく"地を鳴らし"ながら
(「The Rumbling」/ SiM)
それでも進み続ける
そして同メロディが再登場するFULLサイズでは歴代のEDテーマのタイトルもまた回収。
この"残酷な壁の世界"
(「美しき残酷な世界」/ 日笠陽子)
例え何処へ"逃げても"
(「great escape」/ cinema staff)
"落日に追われ羽"を捥がれ
(「夕暮れの鳥」/ 神聖かまってちゃん)
"夜明けの詩"を待ち侘びる
(「暁の鎮魂歌」/ Linked Horizon)
時に"愛の名"を欺いて
(「Name of Love」/ cinema staff)
"衝撃"と絶望を飼い慣らし
(「衝撃」/ 安藤裕子)
ただ"悪魔"と蔑まれても
(「悪魔の子」/ ヒグチアイ)
同じ"樹の下"にいたかった
(「under the tree」/ SiM)
歴代のテーマ曲を回収する演出は「憧憬と屍の道」のサビ部分でも用いられていましたが、今回は作品の集大成。全てのOP・EDと共にエレンが歩んできた物語、その軌跡を辿ります。
「憧憬と屍の道」をリリースした際、Revoは「憧憬」を集大成的位置付けだと話していました。その集大成以降、Revoは『進撃』関連の楽曲を担当することから一度離れることになりました。
何故彼が当時まだ道半ばであった『進撃』の物語において、集大成を銘打ったのか。それには諸説あると思いますが、僕は海に辿り着いた瞬間が「調査兵団を中心とした物語の終幕だから」だと捉えています。
『進撃』のOPを担当する際、Revoは常に調査兵団視点で歌詞を書き、彼らの視点で物語を補完し続けてきました。しかし「The Final Season」では物事の見え方が変わり、パラディ島はおろか、調査兵団ですら一蓮托生では無くなります。
主人公のエレンとかつての仲間たちは対立し、最後には目的を違えるようになりました。
そこまでLinked Horizonとしては「調査兵団の楽曲を書くこと」=「エレン・イェーガーの物語に寄り添うこと」だったはずです。しかし「The Final Season」では、その前提その物が成立しなくなってしまったと言えるでしょう。
リンホラが彼らと共にある音楽を創ることにあるのなら、「The Final Season」以降のテーマ曲は別のアーティストが担当するべきだ。
一部のファンの間では、リンホラがテーマ曲に起用されなくなった理由の1つにこの解釈が挙げられていました。
更にRevoはコンセプトアルバム『進撃の軌跡』において「二ヶ月後の君へ」というエレンに向けたラブソング(?)を執筆しており、その中で「紅蓮の灯火は十三の冬を巡り 燃え尽きる その軌跡は 僕が全て 必ず詩にする」と歌っています。
このことは敬虔なるリンホラファンの間では語り草であり、リンホラが何かしらのタイミングで『進撃』にカムバックすることを確信させる詩でもありました。
そしてこの楽曲が存在することで、Revoの書いている楽曲は「調査兵団の曲」ではなく、「エレン・イェーガーを通した調査兵団の曲」なのではないかという推測も成り立っていたのです。
「The Final Season」以降、エレンの真の心情や感情を測り知る機会は訪れませんでした。彼の心情こそが『進撃の巨人』の物語、最後の鍵であったと言える存在だったと思います。
だからLinked Horizonはエレンの曲を書くことはできなかった。分からないものを憶測で解釈し、その時点の感情を勝手に決めつけて曲にすること。そんな暴挙を、Revoという男は決して良しとしない。
彼の全てが解き明かされるまで世界の行く末を静観し、エレン・イェーガーの全てを見届けた。その瞬間を持ってエレンの新たな楽曲を、彼の全てを語る音楽を世に打ち出すことができる。
だからこそ最後の最後、全ての終わりにLinked Horizonが花を添えるのは必然だったのかもしれません。
宵闇の地平で 根を張るように
誰かを待つ―
「最後の巨人」は、過去にRevoが描いてきたような調査兵団視点の楽曲ではありませんでした。あくまでエレン・イェーガーに寄り添い、彼が通して見る仲間たち、そこに渦巻く数多の感情を表現した一曲です。
ここに来てようやくLinked Horizonは「エレンの音楽」その1つの完成形を生み出すに至ったのです。
また今回の楽曲のFULL ver.は過去の楽曲と比較すると展開性があまり無く、1つの旋律の中で楽曲が完結します。尺も4分とリンホラのOPテーマの中では最も短いです。
リンホラが担当したOP楽曲のFULL ver.には1番や2番と言った概念がなく、楽曲によってはサビも1回しかないなど特殊な構成を取るのが当たり前でした。
最後のテーマソングはさぞ特殊な楽曲なのだろうと期待した方も多かったと思いますが、意外にもその中身はシンプルなもの。有り体に言えば、今までのOP楽曲の中で最も「普通のアニソンっぽい」構成です(※対比的に見てそうであるものの、実際はさほど"普通"ではない)
これもまた、この楽曲がエレン・イェーガーの内面にのみ実直に寄り添った結果であると想像されます。そして更に言えばそれは、曲に展開性を持たせる必要が無くなったとも言えるのではないでしょうか。
過去のOP楽曲が特殊な構成を取っていた理由の1つに、「『進撃の巨人』には表現しなければならないものが多すぎた」が挙げられると思います。
作品内で様々な感情が錯綜し、世界観の謎も多く想像と妄想を掻き立てられる内容。キャラの心情を描く必要もあれば、世界の理を描く必要もある。『進撃の巨人』は最後までそんな難解な作品でした。
必然的にOP楽曲に求められている"イメージ"も凄まじく膨大な量が存在してしまう。しかもその多くが、物語の途中では断定できないものばかりです。
Linked HorizonはOPを担当する度、そのアニメ放送時点で必要とされる要素をなるべく多く収めた楽曲を打ち出していたと感じます。ですがこの度作品が最終回を迎えたことで、作品にまつわる全ての謎と感情が明らかになりました。
先を想像させるOP楽曲を創る必要が無くなったことで、楽曲に収めるべき内容も極めてシンプルになった。故に「最後の巨人」は、今最も語られるべき「エレン・イェーガーという個人」をひたすらに謳った楽曲となったのでしょう。
過去にアルバム『進撃の軌跡』でRevoは、アニメ1期で退場を余儀なくされたキャラクターたちの楽曲を書き起こしました。シングル『真実への進撃』では、「13の冬」という当時のミカサ・アッカーマンの心情を謳った楽曲も収録されています。
そのどれもがこの「最後の巨人」に近しい構成を取った楽曲となっていて、その楽曲体験の記憶をもって「最後の巨人」がエレン・イェーガーの楽曲であることを強く噛み締められるのです。
俺達は奴隷じゃねぇ 生まれた時から自由だ
虚勢を張って 虚構を生きる
真実が 現実に 成るまで
状況とその後に展開される物語の重みを考えれば、「心臓を捧げよ!」のような重厚感重視の楽曲の方が親和したのかもしれません。それでもRevoはこの場において「エレンの音楽」にこだわった。
最後のテーマ曲を、あくまでエレンの視点から描き出すこと。それがLinked Horizonがやり遂げたかったことなのだと思います。
「紅蓮の弓矢」から変わらず携える進撃の意志。しかし過去と変わってしまった彼の存在意義。聞き馴染みのある激しい音色と音調の中に哀愁と悲嘆が入り交じり、現実から目を背けようとする"弱い"彼の存在を楽曲全体で表現しているかのようです。
息の根を止めてみろ
口先だけの正義じゃ 届かない
この楽曲は様々なフレーズで音の動きが不安定で、過去の『進撃』関連楽曲との違いが散見されます。
特に個人的に注目しているのが、サビの1フレーズである「生まれた時から"自由だ"」「息の根を止めて"みろ"」の""で囲った部分。
今までの楽曲でも同様のメロディラインが用いられてきましたが、本来であればここは「音階を上げる」ことで意志の強さを表現するフレーズです。それがこの「最後の巨人」では音が上がり切らず、中途半端な音階で止まってしまいます。
《壁を破壊した者達》は 進み続ける!
最後の「《壁を破壊した者達》は" 進み続ける!"」も、詩の前向きさに反発するように音が下がっているのが特徴的。これらに代表されるように、とにかくこの曲は至る所の収まりが悪く、聴いていて(良い意味で)気持ちが良くありません。
しかしながらこれらは、意図的な表現・演出であると推察されます。
サビの歌詞ではエレンの台詞のような詩が起こされており、それらは最後まで物語を見届けた人が見れば、全てその物言いが"虚言"や"虚勢"であったことを皆が理解できる内容です。
このことから「エレンが本心から言っているわけではない」「虚勢を張っている」フレーズについては、真っ直ぐな力強さを持てないことを音楽的に表現しているのでないか…と個人的には捉えています。
「最後の巨人」は力強さや強い意志の中に眠っている不安的な感情にこそスポットを当てた楽曲である。そう考えると、この楽曲の不安定さにも納得ができます。
だからこの罪は赦さずに往け
そしてこの楽曲の最後を飾るメロディだけは一気に声を張り上げ、恐らくRevoの出せる最高音域でシャウトするフレーズになっています。
全てを受け入れたのか、諦めたのか。
エレン・イェーガーは仲間のこと大好きで、自分の周りの人には本気で幸せになってほしいと思っている男性でした。
その過程がどんなものであり、彼が背負わされたものがどんなものであったとしても、仲間に託したその意志は絶対に揺るぐことがない"本心"である。そんなメッセージ性を感じさせる、力強い咆哮でエレンの内情を彩ってくれました。
なら「間違っているのはもう.…俺だけでいい」
ただ 最後の巨人は独り叫えた
世界中の誰もが絶望を抱え、人類の8割が望まずして命を奪われる。
その悪行を遂行せざるを得なくなった1人の青年もまた、決して表出することのない不安と絶望を抱えている。
運命に翻弄された自由の奴隷は、決して赦されざる災禍を成し遂げました。誰もが彼を擁護せず、彼の行いを否定する。そんな世界が"その後"には生み出されたことでしょう。
俺達は仲間じゃねえ 生まれた時から独りだ
虚言を吐いて虚構を纏う 進撃を侵撃と為すまで
しかしエレンという青年が物語の登場人物である以上、その全てを知る者は存在します。物語を楽しんできた読者や視聴者である我々は、登場人物の誰よりも彼の歩んできた道とその葛藤を見届けてきた立場だからです。
そんな我々であっても、エレンの行いを肯定できるかは分かりません。『進撃の巨人』のファンの中にも、エレンを否定する人は少なくないのかもしれません。
それでも彼に最も「寄り添える者」がいるとすれば、それは我々なのではないか。理解や共感ではなく、少し遠いところから彼の全てを見届けて「よくやった」と言ってあげられる存在。其れになれる者がいるとすれば、我々受け手しかいないのではないか。
お前らはモリを出ろ 何度道に迷っても
報われるまで 俺達は進み続ける
この楽曲からはそんなRevoの思慮と、我々への提案染みた想いを強く感じます。
ここまでRevoは『進撃』の楽曲を担当するに当たり、ファンの目線を崩さないことを徹底してきていました。彼は自身の立ち位置をあくまで『進撃の巨人』を創っているクリエイターではなく、「自分が創ったと錯覚するほど熱心なファンである」である…としています。
言わばファン代表(という表現をRevoは嫌うかもしれないが…)としてテーマ曲を手掛ける存在であり、多くの人に新たな「ファンの視点」を授けることができる唯一の存在でもあるのです。
故に、この「最後の巨人」を通してエレン・イェーガーという青年が全力で辿ってきたその軌跡。それだけでも、改めて感じ取ってあげてほしい。
辿り着いた結末には肯定も否定もせず、ただその過程を認めて彼に寄り添ってあげてほしい。
何故ならば――
「そして彼は この世界から巨人を駆逐した」
そう、彼は成し遂げたのだから。
物語の第1話。「駆逐してやる!! この世から…一匹残らず!!」そう泣き叫んだあの日の決意。
目的に向かって進撃し続けた彼の行動が齎した結末、そこには確かに巨人がいない世界があった。
一匹残らず宣言通りに駆逐され、彼の思っていた通りの世界になった。
それは今となっては、根本的な解決ではなくなってしまったことなのかもしれない。そんな宣言を誰もが忘れてしまうくらいに、世界のスケールは大きくなってしまった。エレンの目的も、もっともっと大きなものに様変わりしてしまった。彼でさえ「それだけしか…」と自嘲してしまうのかもしれません。
だとしても、我々が最初に聞いたその彼の決意は、確かに成就された。そしてその事実を肯定できるのは、あの世界に生きていない読者・視聴者…それだけしか存在し得ない。
ならばこそもう一度最後に思い出してほしい。
『進撃の巨人』とは何を目指した物語であったのかを。何を旗頭に、彼らは進撃の狼煙を上げていたのかを。
その事実だけでも、我々の中で噛み締めよう。
エレン・イェーガーは成し遂げたのだ、と。
彼の共犯者として共に在ることを誓ったアルミン・アルレルトの声で、その真実を「最後の巨人」という楽曲と共に我々の元に届けること。
それこそが最後にRevoが、やりたかったことなのではないだろうか。
僕はこの楽曲を聴いていると、そう思わざるを得ないのです。
異なる地平線を繋げる鎖地平団の団長Revoは、傍観者・観測者として最後まで"彼"に寄り添い続けることを選んだ。そういうことなのだと。
(後編)「二千年… 若しくは… 二万年後の君へ・・・」感想へ続く