『スッスッス』の14万文字全話感想の僕が『キンプリ』にドハマりした理由を語る記事。
『キンプリSSS』全話感想を書いた僕が『キンプリ』にドハマりした理由(経緯編)
1記事目は僕がどういった経緯で作品に触れ、のめり込むことになったかを書きました。2記事目はいよいよこの作品のどういった内容が僕の琴線に触れたかを書いて行きます。
前記事にも書いたように、僕はキャラクターに魅力を感じてこの作品に傾倒したわけではありません。そんな始まり方をしたにも関わらず、今はキャラクター1人1人を通して作品全体に入れ込むようになっています。
一体どんな要素が僕を14万文字感想を書くまで駆り立てたのか。それを一作目『KING OF PRISM by PrettyRhythm』の内容と紐つけて語ります。
興味のある方は是非ご覧ください。
創作者と演者の意識の違い
僕にとって『キンプリ』は「人生を変えられた作品」の1つです。
ですので、今回はいきなり身の上話から始めます。
物語に繋がるものですので、少しばかりお付き合い頂けると幸いです。
僕は先日三十路を迎えた身なのですが、10年ほど前は声優を目指して日々励む夢いっぱいの少年でした。当時から長文を書くのは得意で、小説を書いたりニュースへの意見や日々感じたことを文章に書き留めてもいましたが、どちらかと言えば人前に立つエンターテイナーになりたいという想いが強かったです。
そんな役者生活を5年ほど続けた後、23歳の時に「このまま続けても駄目かもしれない」と思わせられる転機が訪れます。それは自身が出演しながら、脚本/演出も務めた一本の舞台でした。
その舞台で自分の至らなさを自覚し、その世界から一旦遠ざかることを決めるのですが、この時どうしても消化できずに尾を引き続けた問題があります。
それが「創作者と演者の意識の違い」でした。
僕は当時、文章書きでありながら役者でもあり、その側面から「表現者というものは、ジャンルが違えど同じステージの中で同じ意識を共有できる」と当たり前に信じ切っていました。
しかし実際にはそんなことはなく、役者は自分達に都合が良いように解釈し、本を歪めようとしました。これは彼らに悪意があったわけではありません。そうすることで作品がより良いものになると信じて、一生懸命考えるのが役者です。そして僕も、当時はそういう役者の1人でした。
その演者の行いについて本書きとしてのプライドが許さない部分もあったし、従わない演者に合わせてそれを折って進めた部分もあった。結果として何とか真っ当なゴールは迎えたものの、そのわだかまりを根本的に解決することはできなかったのです。当時の僕にはその差を埋める知識と経験、論理が備わっていませんでした。
僕はこれをその舞台を上手く回し切れなかった理由の1つとして掲げ、表現の世界から離れてからもこの「クリエイターとエンターテイナーの意識差」を思考課題として延々と考え続けることになりました。
「クリエイターとして創作物の価値を優先する自分」と「エンターテイナーとして人前に立って他人を喜ばせることを優先する自分」を脳内で戦わせ、それを文章に起こして発散し、経験や加齢で論理が更新されればまた書き…ということを続けました。
速水ヒロと神浜コウジの関係性
それから約3年後。
僕は『KING OF PRISM by PrettyRhythm』を知り、そこで速水ヒロと神浜コウジの2人と出会うことになります。
「ヒロは…嘘をついてまでデビューしたいの?」
「お前の歌を一番上手く表現できるのは…俺だァ!」
回想シーンでわずかに見られた彼らの諍いは、クリエイターとしてステージに立つコウジと、エンターテイナーとして曲を評価するヒロの価値観の違いによって齎されているものだろうと、鑑賞しながら直感しました。
2人の抱えている過去の問題と軋轢、それを乗り越えて得た到達点が『キンプリ』だとしたら、僕が3年間悩み通してきた問題への大きな1つの解答が、この作品には眠っているのではないか。
それが『キンプリ』の内容について最初に覚えた最も大きな興味でした。
これが前記事の経緯に追加する形で、僕にとって『プリティーリズム・レインボーライブ』を鑑賞する大きなキッカケとなった要素です。
『RL』の鑑賞を始めると、2人の壊れた関係性は1話から早速顔を出し始めました。
その後6話で速水ヒロが初登場。
女の子に囲まれキャーキャー言われる彼が何の気なしにもらした台詞(アニメ的にも全く重要な台詞として扱われいない)の中に
「歌は多くの人に聴いてもらって初めて価値のあるものだからね」
というものがあります。
これを聞いた時、やはりヒロはエンターテイナーとして曲の価値を判断し、コウジの持つクリエイターとしての意識を軽んじているところがあったのだと確信。僕にとって「このアニメを最後まで見よう」という完全な決意が生まれたタイミングがここでした。
でも絵的に「このアニメ絶対面白くなるな」と思ったのは、やっぱり13話でヒロが「この速水ヒロが…神浜コウジの歌を…一番上手く歌えるのにィ!!」と叫び出したところですね。
次の項では僕がこういった経緯を踏まえて魅了された、ヒロとコウジの関係性を書いて行きます。
Over The Rainbow結成 表現者としての理想
『RL』の物語が始まる前、2人は当初hiro×kojiというユニットで、プリズムスタァとして活躍を始めようとしていました。
天性のプリズムスタァのヒロに対し、作曲家としてエーデルローズに入校し、カリキュラムをこなす過程でプリズムスタァにもなることができたのがコウジです。
ヒロはスタァとしてコウジが完全に同じ方向を向いていると思っていましたが、コウジにはアーティストというもう1つの側面がありました。そしてコウジにとっては、それも人前に立つことと同レベルかそれ以上に重要なものだった。幼き日のヒロは、それを理解することができていなかったと思います。
だからヒロは主宰 法月仁の「作詞作曲 速水ヒロでデビューしろ」という申し出を「それでコウジの歌その物が世に広められるなら」「自分達がスタァとしてデビューできるのなら」というスタァとしての価値観で判断し、承諾しました。コウジも同じ方向を向いているから納得してくれると信じていたことでしょう。
ですが根がアーティストであったコウジにとって、自分の曲を他人のものにされてまでデビューすることに意味はありませんでした。それは何よりも冒涜的で、屈辱的なことだったからです。
そしてそれを自分に相談することもなく「その方が良いに決まっている」といった態度で受け入れたのが、自分の才能を見出し、共に歩むことを決めていた大親友のヒロだった。これがコウジに凄まじいショックを与えたことは想像に難くありません。
コウジはそんなヒロの思考を受け入れられず、決別を選ぶことに。
逆にヒロはこの時「スタァとしてメリットある選択」よりも、自分の感情を優先したコウジの行いを「裏切り」と捉え、あの壮大な愛憎劇が始まって行くことになります。
文面に起こすとヒロが悪く見えるし実際に100%悪いのですが、コウジもこの時にヒロの言い分にしっかり耳を傾ける努力ができていれば、ここまでの悲劇には発展しなかったかもしれないとは言えます。
ちなみに『RL』劇中でそれをコウジに伝え行動を促し、和解の架け橋となったのが仁科カヅキでした。彼の協力により2人は過去の絆を取り戻し、さらに強固な3人の絆を結ぶことになりました。
この2人の確執には様々な解釈があり、ヒロとコウジの互いを想い合うベクトルは、友情・愛情・敬愛・同志・価値観など、個人が向け合うあらゆる感情が関係していると僕は考えています。
その中で、僕が最も惹きつけられたのがこの"価値観"の部分です。
『RL』で彼らが紡ぎ、乗り越え、到達したOver The Rainbow結成という物語は、長年僕が胸に抱えていた表現者としての鬱屈した問題に対し、"理想"とも言うべき結末を提示してくれるものでした。
エンターテイナーとクリエイターは分かり合えるし、そのどちらの要素持ち合わせていることで悩んでいた自分に「どちらも持っていて良いし、それでしか見えない景色もある」と強く思わせてくれたのが彼らでした。
『キンプリ』との出会いが、僕の長年の悩みを取り払ってくれたのです。
「自分の行動によって世界は輝く」ことを教えてくれる作品
当然のことながら『RL』は彼らだけの物語ではありません。
むしろ主題は女の子達の物語。
今回は『キンプリ』の記事などで割愛していますが、そちらについても、少なくとも45話以降は毎話泣いたと言えば「分かる」と返してもらえると思っています。
その全てを知り、改めて見直した『キンプリ』は、初回のビックリ映像アニメとは全く違う様相を呈していました。
初めてのプリズムショーは『キンプリ』だった。
でも『RL』を見て戻ってきたから、今見たらもう見慣れた映像かもしれない。
そう思っていた自分を嘲笑うかのごとく、改めて叩きつけられたのは、純度100%の煌めきの雨あられ。
決して『RL』のプリズムショーが劣っているわけではないのです。むしろ、尺やジャンプのレベルで言えば勝っているとさえ言えます。
にも関わらず『キンプリ』は"何か"が違った。
スケールとかではなく「何でも良いから幸せになれや!」と言わんばかりに短時間に詰められた煌めきの物量が凄まじく、それが何故か物語として成立してしまっている。
とにかく煌めきが身体全体に押し付けられる感覚に襲われ、それまでには味わうことができなかった多幸感と、続編への甚大なる期待感だけが残る奇跡を体感。
『RL』を見るまでは受け入れられなかった部分まで、60分間余すことなく「世界は輝いている!」という事実を分からせられる映画へと変貌しました。
しかもその価値観を無根拠に押し付けてくるのではなく、あくまで「自分が行動すれば"自分の世界"はどうとでも輝かせられる」といった説得力を持って、自発的な行動を促すような形で体現してくれているのがこの作品の本当に素晴らしいところ。
だから「自分も何かやってみよう」という気にさせてくれるし、実際この作品に出会って新しいことにチャレンジし始めた人も大勢いるはずです。この作品を追いかけること自体が、その新しいチャレンジその物になった人もいることでしょう。
僕は1年後に「もう一度人前に出ることにチャレンジしよう」と思いボーカルレッスンに通い始め、今ではそちらも(スクール内では)そこそこに評価されてライブ経験も増え、人前に立つ自信も一定値まで取り戻すことができました。全て『キンプリ』のおかげです!
(※後に監督が「この作品は20代~30代くらいの鬱屈した野郎に向けて創った」と発言しており、まんまとしてやられていたという具合)
このように
「『キンプリ』に出会って人生変わった!」
と本心から言えてしまうような魅力が詰まったのが『KING OF PRISM』という作品です。
怪しい宗教にハマッたかのように魅力を喧伝するファンが多いことで恐れられている(節がある)『キンプリ』ですが、本当に"そう"だから仕方がないんですよね…。だからせめて「アニメの凄さ」を正確に伝えられるツールを増やしたいという想いが、『スッスッス』の記事執筆のモチベにもなりました。
「見せてあげるよ! 世界は輝いているって!」
それを最初に教えてくれたのは一条シンくん、君だ。
だから俺は、その君のジャンプが君自身のものじゃないなんてことは、絶対に信じないからな。
おわりに
僕は前述した経験から(勉強は継続しながらも)何かを為すことからは何年も離れてしまっており、人間力を磨くためと苦手意識の強かった営業職の正社員になっていました。
「いつの日か自分を燃え上がらせるキッカケがあれば、必ずこの世界に戻ることになるだろう」と、再起を胸に気持ちを燻らせて何となく働く毎日が過ぎました。
別にその状況に大きな不満があったわけではなかったのです。
ただその毎日を「何となく詰まらないなぁ」と思っている。そういう在りし日の一条シンくんと同じように普通に生きている、ありふれた1人の男でした。
僕にとって『キンプリ』との出会いが、新しい"キッカケ"の到来。
そんな大袈裟な…と言われても仕方がないほどの熱の入れ込みっぷりですが、3年前の僕が最も求めていたものをこれでもかと詰め込んでいた作品が『KING OF PRISM』だったのです。
何の巡り合わせか、欲しい時に最も欲しいものだけをくれた存在が、この作品だった。人生を変えるほどのパワーと内容が、この作品には詰まっていました。
これが僕が『キンプリ』の世界にのめり込むようになった理由です。
本当はもう少し細かいことがあるのですが、それは次の記事以降に取っておきましょう。
次回は、ここまでの内容を踏まえた僕が『KING OF PRISM -PRIDE the HERO-』を観てどう思ったのかを書いて行こうと思います。
男性ファンだと『プリティーシリーズ』の延長で『キンプリ』も愛している、『キンプリ』から入って『プリティーリズム』に燃え上がるという方が多い印象がありますが、僕はどうあっても『キンプリ』から入って『キンプリ』が一番好きなファンとして出来上がりました。
それを完全に確定させてくれたのが続編たる『キンプラ』です。
よろしければ次の記事をお待ち下さいませ。
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