最新作劇場版&TVアニメシリーズ
『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』公開記念!
『キンプリSSS』『スッスッス』の感想記事。
最速上映参加の勢いで1話ずつガッツリと。
(※3章は最速と初日連続で2回観ました)
8話は全知全能のゼウス♂ 涼野ユウ!
エデロ新入生組で唯一スピンオフ元の『レインボーライブ』から継続出演のユウくんが8話でついに登場!そのバックボーンの厚さを活かした活躍が期待される唯一のキャラクター!
『キンプラ』以降は女子勢も少しずつ顔を出すようになり、3話ではカヅキ絡みであんわかなが台詞ありでスポット登場したりと着実に出番を増やしている印象。このユウくん回では過去を踏まえた演出や展開が盛り込まれるのではないかと、期待半分恐さ半分で待っているエリート諸氏が多かったのではないでしょうか。
最も掘り下げのバリエーションが多いであろう彼は、今後の『キンプリ』の在り方を左右するキーマン的存在だと言っても過言ではなかったはず。ですが、ほとんどの方が納得して終わることができる展開にしっかり仕上がっていたと思います。
果たしてどのようなストーリーが展開されたのか…その全容を書かせて頂きたいと思います。
最強ロックスター!READY SPARKING!
これまでの涼野ユウ
『レインボーライブ』のメインキャラ涼野いとの弟。お姉さん同様に作詞作曲センスに長け『キンプリ』キャラの楽曲の多くを手掛けるエーデルローズの音楽的支柱。
また登場キャラの中で最年少であり、同級生は1人もいません。今作『スッスッス』では14歳と『RL』当時のお姉さんと同じ年齢になりました。
『RL』ではある事件の影響で家族離れ離れに暮らしていた過去があり、ユウくんはお母さんと北海道で幼少期を過ごしました。紆余曲折を経て今は東京で一家揃って4人暮らしをしています。当時はどちらかと言うと引っ込み思案で自己主張の苦手な子でした。
またベルローズの蓮城寺べるの大ファンであり、これは『RL』の時点で既に描写されています。何かとべると一緒にいることが多く、深い関係性が噂されているヒロのことをライバル視しているなど、かなりガチ恋気味の憧れ感情を持っているのが特徴。
他にもお姉さんがコウジと恋仲にある関係でコウジとはエーデルローズに入る前から深い関係にあり、ヒロやカヅキともある程度の親交があったようですが、本編ではその関係が描写されたことはほとんどありません。
――と、他のキャラに比べると語るべき過去エピソードや設定の量が半端じゃなく多いのが涼野ユウくん。プリズムショーを始めたのも、元々プリズムショーが好きだったから、お姉さんがスタァだったから、べるに憧れているから、などかなり具体的に見えている理由が沢山あります。
エデロ生達だけでなく、オバレとも『RL』女子勢全員ともしっかりとした関係性を持っているなど他キャラより(作品的な意味で)環境に恵まれています。
しかしながらその背景設定が存在するが故に、キャラクター性が設定に完全に依存してしまっていたキャラでもあります。「涼野ユウ」という個人がストーリーで特別活躍したシーンはなく『キンプリ』内でもどこか特別枠のように扱われている節がありました。監督も「続投キャラだから勝手に人気が出ると思った」という目論見でいたことが明かされています(※出典不明のネット情報です)
今回は満を持して、彼個人の話が掘り下げられていくストーリー。彼を中心に『RL』と『キンプリ』のキャラは繋がっているとも言え、その複雑に張り巡らされた関係性をどう使って彼の話を掘り下げて行くかに多くのファンの想像と妄想が膨らんでいたことと思います。
そんなユウくんの担当回は我々の想像を超え、正に『KING OF PRISM』に相応しい1回になりました。それでは語って参りましょう。
0から1を生み出す者の孤独と苦悩
8話を語る上で外せないのは涼野ユウの苦悩の本質だと思っています。前半は「PRISM.1で使用する全ての楽曲を自分で書き下ろす」と宣言したユウくんと、それに気を遣うエーデルローズの面々が描かれています。
このシーン、一見するとユウが若さ故に自分のキャパシティを過信したにも関わらず、製作が上手く行かないことの責任を仲間達に押し付けているクソガキムーブに見えてしまうと思います。タイガが「お前が自分でやるって言ったんだろ!」と言いかけては仲間に制止されるというシーンが挟み込まれているように、ああいった感想を持つ鑑賞者も非常に多いと考えています。
ユウくんは人間として未熟だったのは確かであり、上記した内容が誤解かと言われるとそうではありません。けれど、他にも目を向けなければならないことがあるのがこの前半です。
この作品に登場するメインキャラは全て表現者であり、何かしら人を楽しませる努力をしている人達ばかりです。そこは共通した価値観があるのですが、この表現というジャンルは活動内容によって少しずつ優先すべき感情と、伴う苦痛の種類が違うという厄介な側面を持っています。
スタァ達が人前でエンターテイメントをする人達だとすると、今のユウはクリエイター。クリエイティブな問題はエンターテインメントの問題とは全く違うものなのです。
作詞作曲とは0から1を生み出す行為。
対してショーはその1を100にする行為です。
0から1を生み出す難しさや苦痛は、0から生み出す者にしか分からないもの。この作業は極めて孤独な戦いであり、自分ではどうすることもできないし、他人にどうにかしてもらうこともできないという状況が多々訪れます。
エーデルローズには0から1を生み出せる人間がユウとレオしかいません。『スッスッス』ではレオが衣装デザインをしている話が一切取り上げられなかったので、彼がどう立ち回っていたかは全くの未知であり、結果的にユウの気持ちを同じ立場から分かってくれる人が誰もいないかもしれないという状況になってしまっていました。
「僕達、曲のことなんて全然分からないし…」
このシンの台詞は、ユウの孤独な状況をより強く引き立てる役割を持っていました。
作詞作曲の心得を持つ者は確実にユウ1人。
他の者達は「信じて任せるしかない」という状態で、その分ひたすらにユウに負担をかけないように努めて気を遣っているという微妙な空気が流れる前半でした。
クリエイターとエンターテイナーの認識差
このような状況は、実はスランプに陥っている(自分を100%信用できない)クリエイターにとって、かなり精神的に厳しい環境だと言えます。
仲間達は知識的に何も言えないから何も言っていないのですが、他人のために頑張っているクリエイターが直面する「何も言ってもらえない」ことの苦しみは想像を絶します。それが「何も言ってくれない」人達のためだったとしたら尚更のことなのです。
「なんで俺に丸投げなんだ!」
「意見くらいは言えるだろ!」
そう思ってしまうのは当たり前であり、その苦痛から逃れるために情緒不安定な当たり方をしてしまうのも自然です。「俺を助けてくれ」とSOSも出したくなります。彼は短気なクソガキだから皆に怒っていたわけではなく、1人孤独な戦いに挑み続けるクリエイターだからこそ苛立っていたのです。
もちろんこういった苦痛の正体を完全に理解して把握し、適切な助けを求めることができるように動くのが一流のクリエイターというものだと思いますし、身近に頼れる人(コウジやいと)がいるにも関わらず意固地になってそれを拒否し、仲間に当たることは決して褒められたことではありません。それは単純にユウの幼さから来る駄目な点です。
それにエンターテイナーである彼らに、クリエイティブな意見を要求して返ってくるかは実際のところ分からないのです。ユウは同じ表現者なら何か言えるだろと思ったかもしれませんが、エンターテイナーには本当に的外れなことしか言えない人もいます。
でも、エデロ生達のユウに対する気の遣い方がかなりズレていたのも事実で「自分で何とかするしかない人」への対応として、彼らの気遣いは赤点でした。「ユウを尊重しよう」「今はそっとしておこう」がベストではないこともある。そんなことより何か声をかけてほしい時もあるわけです。
これらはお互いがお互いの気持ちを「完全に理解できないからこそ起きてしまう」事故のようなもので、どっちが悪いとか誰が悪いという類いのものではありません。ですが、ああいう場面では絶対に一度は起きてしまうであろうリアルだと思います。
1つ言えるのは「お前が自分でやるって言ったんだろ!」というのは、ああいう時に言いたくても絶対に言ってはいけない言葉の1つだということ(その後の関係性が破壊されるレベルの悪手)それを未然に止めてくれていた辺り、カケルら年長者組は本当に心からユウやタイガのことを考えて判断していたんだろうなぁというのが伝わってきて良かったです。
年齢差が解決の大きな鍵に
エデロ生達は接し方こそ間違えていましたが、ユウのことを助けたい、協力したいという気持ちは完全に本物でしたし、そうだったからこそこの8話はギリギリのラインで成立し、解決を迎えたお話だったと思います。
このエンターテイナーとクリエイターの価値観のすれ違いや軋轢のようなものは『RL』の頃から一貫して描かれているテーマであり、具体的に言うとヒロとコウジの行き違いは正にこれでした。
ヒロはエンターテイナーとしてコウジとコウジの音楽にとってのベストを考えて行動したものの、クリエイターとしてのコウジの気持ちは全く分かっていなかった。コウジはコウジでクリエイターの矜持が最優先で、エンターテイナーとしてのヒロの考えを推し量ることができなかった。だから致命的な仲違いをしてしまった、と僕は考えています(※一般的価値観で言えば当然100%ヒロが悪い)
ユウと仲間達の状況はこれに通ずるところがあり、もしかすると『RL』のヒロとコウジのように、全員がユウと同い年だったら取り返しのつかない大問題が起きていたかもしれない。皆が本心からユウの助けになりたいと思えていなかったら、終わっていたかもしれない。そんな末恐ろしさを全体から感じたのがこの8話です。
ネットの感想を見ていると、ユウの怒りの正体が腑に落ちていなかったり、前半はユウが完全にタダのクソガキだったと言っているような人達もかなりいらっしゃったように見えたので、実際はこのような「もの作りあるある」を主軸に置いた話ではないかという考察をまず書かせて頂きました。