長らく放送が延期していた春ドラマ『MIU404』。
満を持して6/26(金)より放送スタートしました!
2018年に放送され数多の賞を受賞した名作『アンナチュラル』の製作チームが勢揃い。脚本も引続き野木亜紀子氏が手掛ける他、主題歌も米津玄師が続投と同作の正当な後継作です。
一方で今作は機動捜査隊が舞台。綾野剛と星野源がW主演を飾るなど、女性中心で情緒的な話が展開された『アンナチュラル』とは大きく異なった作風になっています。
作品同士で比較すると決して似通っているわけではないものの、どこかに『アンナチュラル』の遺伝子を感じる。そんな作品が体現されることが期待されます。
このブログでは感想ライターのはつが、『MIU404』の魅力を毎週1話ずつ細かく分析して記事にして参ります。
よりこの作品を楽しめるようになる、そんな感想をしたためて参ります。よろしければお付き合いください。
志摩と伊吹の関係性
『MIU404』最大の特徴は、やはり男性キャストによるW主演というところ。明確なヒロインに当たる人物が存在せず、今のところ恋愛的な要素などは見受けられない硬派な創りです。
綾野剛演じる伊吹藍と星野源演じる志摩一未が初動捜査のプロフェッショナル機動捜査隊でバディを組み、24時間のタイムリミットの中で事件解決を目指すこのドラマ。
短絡的かつ感情的で警察内でも厄介者扱いされている伊吹に、冷静沈着で優秀な志摩が振り回される形で進行して行きます。
やられたらやり返す、舐められたら終わり、感情的な相手には感情的に対応する。伊吹はそんな、警察の権威を悪用して憂さ晴らしするような行為を開幕から続ける男です。しかしその行動論理はあくまでも"正義感"に依存しており、「悪を倒すためなら何をしても良い」と思っているように感じます。
その相手をする志摩も決してヘタレというわけではありません。最初は困惑しながらも、すぐに伊吹の特徴を把握してコントロールする敏腕さを発揮。「自分も他人も信用しない」というスタンスで、着実に事件解決へと歩みを進めます。
一見すると伊吹が圧倒的に問題があるように見えますが、志摩も過去に何か失敗を犯して左遷された経験があるようです。周りからは「優秀だった」と過去形で片付けられてしまう始末。
1話の後半ではその片鱗を覗かせるシーンもあり、職務遂行のためであれば手段を選ばないストイックすぎる一面が見られました。多くの視聴者が「実は志摩の方がヤバい奴なのでは?」と感じたのではないでしょうか。
感覚派と論理派で全く反りが合わない正反対のバディ…ではなく、どこか通ずるものを持ち、何かが"破綻"したように見える2人。
彼らとそれを取り巻く人々が、これからどんな物語を描いてくれるのか。楽しみですね。
小さな煽り運転が生んだ大きな悲劇
ではこのドラマで取り扱われる内容について見て行きましょう。
第1話では「煽り運転を発端に巻き起こる殺人未遂事件」がフィーチャーされました。2020年6月末から妨害運転罪が創設され、煽り運転が厳罰化。タイムリーな話題からのスタートとなりました。
この点においては『アンナチュラル』も(当時話題に上がっていた)社会問題をテーマに据えた1話完結の物語で、その方向性を同じくしています。『MIU404』も、近年ネットやテレビで物議を醸した話題が取り上げられていくと考えられます。
社会問題を扱ったドラマは他にも存在しますが、『アンナチュラル』は1つ1つを決して軽んじることのない、当事者性の高い語り口と深度が魅力。事件や事故を追想できるだけでなく、メディアの情報だけでは感じることのできない、その裏側にまで想像を及ばせることができる作品でした。
これは脚本家である野木亜紀子氏のストーリーテリングの素晴らしさによるものと断言して良いでしょう。そして『MIU404』についても同様に、語りの奥ゆかしさが色濃く反映されています。
ただ煽り運転を取り扱っただけの話ではなく、「煽り運転がどのようなものなのか」また「それがどのような悲劇を生む可能性があるのか」までしっかりと網羅。それらがリアリティを伴った人間の感情の動きと共に、丁寧に描かれて行くのです。
煽り運転とマウンティング
煽り運転をする人は、自動車を自分だけの空間と位置付けている。
そしてその中で自分が強くなった気分に陥ってしまい、自分の優位性を主張するために他人を威圧して悦に浸る。
作品内ではそのように煽り運転の解釈が語られました。ここまでは、多くの人が自然に辿り着くことができる解答ではないかと思います。
『MIU404』はその一歩先に踏み込みます。
その煽り運転特有の感情のことを「マウンティング」と関連付ける形でより深堀りし、物語の一部へと落とし込みました。
「煽り運転」という概念だけで考えていると、普通の人はそれを行う人の気持ちが分からないと思います。自分とは全く関係のない人種の話だとし、理解を及ばせようとしないのではないでしょうか。
ですが「マウンティング」と言われるとどうでしょう。「マウンティング」は非常に身近な存在として、生活に溶け込んでいる概念です。近年では一般的な言葉となり、他人と自分を比べることに辟易している方も多いと思います。
本作の1話では「煽り運転はマウンティングと非常に近しい感情によって巻き起こる事象である」とすることで、その悪意性や感情をより身近なものとして理解できるような創りに仕上げています。
そういった鬱屈した感情を連続させることで、人はやがて道を踏み外した行動に出てしまう。マウンティングの連続が最後には犯罪に結びつき、直接的・間接的問わず人を殺めかねない事態を引き起こすまでが詳細に描かれる物語でした。
決して他人事ではないし、身近な人にそういう人がいるのかもしれない。また自分がいつ"そっち側"の人間になっても全然おかしくはない。煽り運転についての理解を深めると共に、そのような警鐘を鳴らす意味合いも込められているように感じられます。
文面にすると非常に説教臭い空気になってしまうのですが、実際に見てみるとこのドラマには全くそういった雰囲気がありません。
あくまでも「人間の感情の動き」をベースにして物語が進行するため、何も考えずに見ていても内容に没入してしまう魅力があります。
そして終わった頃には、何となくそのテーマ性を心の奥に打ち込まれている。そんな爽快な視聴感を楽しむことができるのです。
テーマを語るための脚本ではなく、脚本の中にテーマを隠しながら、その本懐をしっかりと視聴者が感じられる物語。『アンナチュラル』から連なった確かな魅力が、『MIU404』にもありました。
身近な話題や問題を分かりやすく相手に伝える配慮がある内容ですし、「分かる」「分からない」ではなくしっかりと「感じさせてくれる」のが本当に心地良い。期待していた以上の満足感を得られました。
"普通の人"が"犯罪者"になるまで
物語はさらに深くに踏み込みます。
第1話にて拾っておきたいのは、犯人が捕まる前に発していた台詞です。
犯人は最後まで「ちょっと○○しただけだ!」としきりに叫びながら逃げ惑っていました。
煽り運転をしただけでなく、それに歯向かってきた相手に付きまとって暴行をはたらく。遂には殺人未遂事件にまで発展する。明らかな犯罪行為に及んでおいて「ちょっと○○しただけ」で済ませようとしていたのです。
きっと彼の中ではそうだったのでしょう。ちょっとのこと。今回だけのこと。数ある中でたまたまそうなっただけ。そんな憂さ晴らしをしている奴はどこにでもいる。自分は逮捕されるようなことをした覚えはない。本心からそう思っていたのかもしれません。
けれど人間というのはそういった"ちょっと"の積み重ねによって、だんだんと大きく人の道から外れてしまっていくものです。
最初は本当に何となくやってみたことだったのに、いつしかその快感に取り憑かれて後戻りできなくなってしまう。誰からも指摘されることなく注意されることもなく、「どうせこの程度ならバレやしない」と高をくくって、最後には大罪人となって世間を騒がせます。
最初は誰もが普通の人間で、犯罪者ではありません。
そして犯罪者は急に飛び出してくるイレギュラー存在などではなく、普通の誰かが時間をかけて変貌した姿に違いありません。
煽り運転は近年に入って問題視されるまでは、大きな犯罪に問われることがない行為でした。だからと言ってそれに興じて良いわけではないのは当然です。
そんな犯罪ではない悪徳な行為に手を染めてしまえば、気持ちはエスカレートし続け、最後には大罪を犯すところに必ず辿り着いてしまう。第1話の犯人は、そういった"普通だった人"の成れの果てとして描かれたのだと考えています。
伊吹は彼が捕まった際、「良かったな、誰かを殺す前に捕まって」と一言添えました。あのまま野放しにされていたら、彼は絶対に人を殺すまであの行為を続けていたと分かるのでしょう。
そうなって初めて事の重大さに気付いてももう遅い。省みる機会も心も失って、名実共に完全な人殺しの出来上がりでした。人を傷つけている時点でとっくに一線を超えてしまってはいるのですが、彼にとっての"最悪"の事態は避けられたのです。
その気持ちを理解する伊吹は、正義の名の下に犯罪者を「死んでもいい存在」と位置付ける感情派でもあります。悪く言えば、犯人と同じ穴の狢なのかもしれません。
一体伊吹の本心はこの事件のどこにあるのか。それを見る志摩の心は一体どのような様相を呈しているのか。
2話以降でそれらが紐解かれることに期待が高まります。
おわりに
『MIU404』の第1話は、全ての始まりとして非常に整ったものであったと感じます。
煽り運転を受けた伊吹の悪感情から始まり、その煽り運転と煽り返し運転のマウントの取り合いが生んだ悲劇へと至る多重構造。
伊吹の暴走によって巻き込まれてしまったおばあさんと孫の存在に目を向けながらも、彼の暴走が無ければ決して解決しなかった問題も存在する。
行きすぎた正義は大きな成功と失敗を同時にもたらしました。今回は結果的に上手く行ったから良いものの、こうならなかった可能性も十分すぎるほどに高いものでした。それを終わり良ければ全て良しで片付けることはできないでしょう。
爽快なストーリーと展開の裏では、善とも悪とも断じ切れない複雑に絡み合った事情と感情が渦巻いています。どこかピリピリとした後味が、視聴者の心に余韻をしっかりと残すかのようです。
この一件によって変わった伊吹の心と、それに動かされた志摩の心。そして彼ら2人の行動によって変えられていく周りの人間たち。
注目すべきところをしっかりと魅せてくれた1話を持って、2話以降を楽しもうと思います。よろしければこの記事群にもお付き合い頂けますと幸いです。
また2話以降の記事でお会い致しましょう。それでは。
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