スイッチは仲間と共に
「陣馬さん、早く食べないと。うどんの館みたいになっちゃいますよ」
九重世人は今も昏睡状態の陣馬のそばにい続けています。彼の家族にも生活があり、常に寄り添い続けることはもちろんできません。だからこそ今はやることがない彼は、せめて相棒と共にいます。
相棒は意識不明で、隊長はその任を降りた。志摩はおかしくなっていて、伊吹は感情のコントロールができていない。そして自分は望まぬ異動のせいで4機捜ではなくなった。この時の九重は、本当にたった独り取り残された存在でした。
「俺が作った博多うどんも食べてよ。…コシがないって文句言ってよ」
志摩は冒頭の車中で、伊吹に言いました。自分たちが行ったところで、陣馬さんが目を醒ますわけではないと。論理的に考えればそれはその通りに、意識のない彼に声をかけることに大きな意味はないのかもしれません。だから多くの人が回復を願って、それぞれの人生を過ごします。
「…ここで茹でましょうか? ほら、ガスコンロ持ってきて!」
けれど眠れる者に言葉が届いていない確証もありません。そばで誰かが語りかける言葉は、まだ目覚めない彼の脳を刺激しているかもしれない。身体を動かせないだけで、その言葉をいつも楽しく聞いているかもしれない。そばにいることが、支えになっているかもしれない。
「窓から湯切り――」
ふとした瞬間、過去の記憶を回想する度に残された者は胸を締め付けられます。何てことない一幕が、共に過ごした時間の証が、とてつもなく遠く大きなものに感じられる。取り返しのつかない過去を想った時、改めてその人の存在を強く認識してしまうものです。
最低だったはずの記憶が最高の思い出に変わる瞬間、人はそれに強く執着します。消えないでほしい。生きていてほしい。そう思えば思うほどに感情は溢れ出し、目の前で動かない相棒の心を揺さぶります。
「……たまがったなぁあん時」
4機捜に配属さればかりの九重世人は本当にドライで堅物で、陣馬の言うことなど一切歯牙にもかけませんでした。それでも陣馬は懸命に九重と打ち解けようと努力し、彼を1人前の警察に育て上げるために向き合いました。
「最悪なおいちゃんと…なんで組まんといかんとかって」
とは言え50過ぎの"おじさん"にできることなど古臭いコミュニケーションばかりで。響かない九重に、理解できない陣馬。4機捜のもう1つのでこぼこコンビもまた、紛れもない最低から始まったのは間違いありません。
「陣馬さん…!」
「もっかい…もっかい一緒に酒飲みましょうよ…!」
どれだけ拒絶されても陣馬は九重のことを見放さず、彼の心に寄り添った。彼が刑事局長の息子であると知りながら特別扱いせず、それでいて彼の立場や人生を否定せず。「九重世人」という1人の人間が進むべき道を正しく指示してくれた。
理解も共感もできない。けれど否定もしない。彼には彼の人生が、背負うべきものがある。それを本当にしっかりと割り切って、時には優しく時には厳しく教えてくれた、親ほども歳の離れた奇妙な存在。
「付き合うから…陣馬さん…」
陣馬耕平は、九重世人にとっていつしかそんな最高の相棒になっていました。
警察には九重より陣馬と付き合いの長い者はいて、彼よりも陣馬をよく知る者も沢山いるでしょう。でも九重にとってはきっと最初で最後の相棒で、現場の全てを隣りで教えてくれた唯一の存在。掛け替えのない、いつまでも忘れることのない絆で結ばれた関係です。
「……ん――」
「!? なんて…陣馬さんなんて…!?」
仕事に人生を捧げてきた男が仕事で手に入れた、誰よりも彼に強い敬意を向ける者。
その彼の"心"だからこそ、常識を超えた奇跡を引き起こすことが、きっとある。
「――博多うどん…コシがねぇなぁ…」
陣馬が開いた九重の心が、人馬を窮地から救い出す。諦めないことを相棒から学んだ若者は、決して彼を諦めることはなかった。そんな希望に満ち溢れた1つの結末。
「陣馬おき」
「陣馬さん起きました」
「意思を取り戻しました!!」
「やったーーーー!!」
そんな彼の想いが大きなスイッチに。
通知がスマホを揺り動かし、戦い続ける者に道は開く。
最悪の可能性から抜け出した志摩と伊吹。4機捜のもう1つの相棒は、2人で最後の"最悪"を止めに向かいます。
守るべきもののため
海上で目覚めた志摩と伊吹は、久住の船から海へと脱出。
近くの漁船に助けを求める形で陸上に復帰します。
あの状況で志摩と伊吹を連れ戻すとあまりにも不審なため、久住も見過ごす他なかったというところでしょう。
九重と連絡が取れたことで4機捜や警察庁本部とも連携が取れるようになり、いよいよ久住を本格的に追い詰める展開へと相成ります。
今まで有事の際は上官に言いくるめられてばかりだった桔梗もここぞとばかりに奮起。一刻の猶予もないこの状況で、現場の指揮権を獲得するために懸命に戦います。
「久住をここで逃がしたら、新たな被害者を生んで、その被害者がまた加害者になる。面目や対面のためにできることをやらないのなら、私たちがいる意味ってなんですか?」
公権力である以上、仕事の割り当ては正式なものでなければならない。その理屈が理解できない彼女ではありません。しかしそれで目の前の巨悪を逃がすようなことがあったとしたら、一体何のために組織というものがあるのか。守るべきものは一体何なのか。
「小さな正義を1つ1つ拾ったその先に、少しでも明るい未来があるんじゃないんですか!?」
その熱意と使命感で、初めて安孫子をねじ伏せました。我孫子は憎まれ役ではありましたが、彼もまた自身の正義感に順じて職務を全うする警察官です。「どちらにも理がある」のなら上の命令に従いますが、「絶対にそうすべき」状況では優先順位を動かすことも厭わない。そんな男気を見せてくれました。
志摩と伊吹は地上に戻り服を着替え、九重は閉じ込められたメロンパン号を解放。
「伊吹…悪かった1人でやろうとして」
「え?」
「俺が馬鹿だった。…泣くなよ」
「泣いてねぇよ!」
「…行きますよ、馬鹿2人!」
今できるベストを取り戻した4機捜。現場の全ての警察官の力を借りて、最悪を追い詰めます。
"久住"
国外逃亡に失敗し東京に逆戻りした久住は、新たな伝を使って完全逃亡を試みます。
スマホの連絡先に保存されたメンバーは全て「居住地 金持ち 利用方法」で登録されており、その中から「東京都 金持ち プライベートジェット」を選択してコールします。
久住があくまでも他人を「自分が利用できる存在」と認識し使っているのがよく分かる演出で、それだけで彼の下劣さが際立ちます。
しかしその相手の名前をしっかり覚えてコミュニケーションを取っている一面も。対面では決して個人を蔑ろにしているわけではないのが、彼が周りから信頼を集めて人脈を形成できる理由でしょう。
一旦逃げ切ってしまえば、また仕切り直せばいい。顔を知っている警察官も志摩と伊吹の2人のみで、躍起になって追いかけられるほどの犯罪は犯していない。久住からすればまだまだどうとでもできる状況でした。
そんな彼が取った行動は、まさかの屋形船で"ツレ"と余裕のどんちゃん騒ぎ。幾つもの顔を使い分ける彼は、決して利用する相手に下手に出ることはないようです。大ピンチの状況下にあっても、常に余裕を持って行動し隙を見せない。それが久住という男の生き方でした。
ですがその気配を見逃す伊吹藍ではありませんでした。伊吹の超視力・超感覚は的確に久住の存在を捉え、久住にとって確かな"想定外"を発生させます。目を付けられた相手が悪かったと言うべきか、そんな伊吹だからここまで追い詰められたのか。そのどちらでもあると言うのが正しいのでしょう。
いくら正体不明の「Not found」と言えど、丸腰になってしまえば1人の人間に過ぎません。
人間離れした体力や筋力を持っているわけもなく、当然ながら瞬間移動したり空を飛んだりすることもできない。素性も経歴も何もかも不明な不気味な存在でも、最後の最後はただの人です。
だから一度捕捉されてしまえば、警察の包囲網を逃げ切れるわけもない。4機捜のメンバーだけで十分に、彼を八方塞がりの袋小路に押し込むことに成功しました。
感電
「この船…俺の"ツレ"が貸し切っとんねん…」
完全に為す術を失った久住は、最後の最後で必死の抵抗を試みます。
「警察の暴行の目撃者…を…大勢作れるっちゅうわけや…!」
船の移動経路を利用して自ら頭を切り、その罪を伊吹に擦り付ける。それが彼の最後に選んだ攻撃でした。
船の中にいた連中は一部始終を目撃していないし、その証拠もない。そしてないことを証明するのは、あることを証明するよりもずっと難しい。自分を慕ってくれている彼らを上手く利用すれば、世論は簡単に操作できる。10話で見せたのと同じ、人の心を利用した彼らしいやり口です。
「ほらケン…! ほら見ろや!!」
元々大した罪を犯したことにはならない立場。逮捕されたところで自分を擁護する声が多ければ、権力は簡単に大衆の声に屈すると考えたのでしょう。それを無理矢理にでも止めれば伊吹の立場が危うくなるだけ。完璧な作戦であると、彼は思っていたはずです。
ただしそれは――
「お前どうしたんwww真赤じゃんwwwww」
――その"ツレ"が正常な人間であったのならばの話です。
久住の頭に流れた衝撃は全身を駆け巡り、彼の心を感電させました。あれだけ余裕を見せていた表情が、完全にその顔から欠落してしまうほどに。
彼が"ツレ"と呼び信じた存在は、とっくの昔に彼が作り出したドーナツEPの虜になっていたのです。
――おもろいやん!
なーんも考えず気持ちようなっといたらええやん。
楽しいことだけしといたらええやん!
利用しているその瞬間は、正常に物事を考えられないほどに気持ちよくなってしまう恐ろしい薬物。前後不覚になり、目の前のものが全て愉快に見えてしまう彼らは、血まみれの久住を無意識の中で嘲笑しました。
目的なんかないよぉ。
阿呆共が、ワーワーワーワーやってんのを
たかーいところから見とるだけ!
彼が阿呆と罵った存在は、彼の言った通りに理性を失って。それを高いところから見下すのはさぞ気持ちが良かったことでしょう。
そしてそんな存在に醜く縋った自分自身の姿は、彼の目に一体どう映る?
「…望み通りの世界だな」
「こんな世界にしたお前を…俺は一生許さない」
それをすぐそばで見守る2人の刑事。
人を体よく利用し自分のことだけを考え、誰の窮地にも手を差し伸べなかった者には、当然同じような者しか群がらない。人脈は友人でもなければ仲間でもない。
それを見誤ったたった1人の男が絶望するその姿を、彼らは決して嘲笑ったりしません。
「許さないから殺してやんねぇ」
「そんな楽させてたまるか」
人間はなかなかどうして自分の思い通りにはならない。時に裏切られ時に裏切り、傷つきながらも人は誰かとの繋がりを求め続ける。多くの絶望を見届け、同様に絶望を経験してきた彼らは、久住という男の絶望にも等しく寄り添います。
「生きて…俺たちとここで苦しめ」
「…そういうこと」
彼にどんな過去があるのかは分かりません。犯罪に手を染めた以上、慮るべき事由もあるのかもしれません。
今まで志摩と伊吹が向き合ってきた犯罪者たちは、皆が皆"何か"を抱えて苦しんでいる者たちでした。そんな人たちが今も自分の罪と向き合って、絶望の中で戦っている。その多くに関わり人を絶望させてきた久住が、自分の絶望から逃げることなど決して許されない。
「…………」
この世は地獄。それを今初めて認識したのか、それとももっと前に何かがあったのか。それは分かりません。ただ今の彼にできることは今ある絶望を噛み締めて、今ある地獄を生き抜くことだけ。それをMIU404の2人は、静かに態度で彼に伝えたのでした。
人生
逮捕された久住は、クルーザーの痕跡から薬物製造責任の罪に問われることに。桔梗が「製造の罪"は"問える」と言っていることから、やはり他の犯罪についての痕跡はほぼ見つかっていないのでしょう。
身元を示すものも見つからず、取り調べには完全黙秘。結局彼が何者かは分からず本当の名前も不明なまま。
「俺は久住…ゴミ…トラッシュ…バスラー、スレイキー…」
病室のベッドで横たわった彼は、志摩と伊吹にだけ本音を漏らしていました。自分の掲げた全ての名前が自分自身であると言いたげなように、ポツポツとそれらを口にしたのです。
「どこで育った?」
生まれや育ちなどどうでもいい。ただ自分自身が生きてきた全てが自分自身を作り上げる。
「…何がいい?」
誰にも見つけられなかった存在もまたどこかで生きていて、関わった人やものは確かに存在している。そしてその過程で彼は犯罪を犯した。ただそれだけのこと。
「不幸な生い立ち?歪んだ幼少期の思い出?いじめられた過去?」
それ以前を語ることに何の意味があるだろう。誰がそれを欲していて、何のためにそれを知るのだろう。綺麗だと思っている人間たちは、そんな点と点を勝手に結び付けて他人で遊びたがる。真実かなんて気にもかけない。「自分たちには全く関係のないことだ」と本気でそう思っている。
「ん?どれがいい?」
そんな連中に誰が自分を伝え聞かせようか。下世話な好奇心には下等な人情話を。理解する気などサラサラない連中に、自分の本当の人生を語って聞かせる理由などない。所詮は人間にとって「自分たち」以外の全てはフィクションに過ぎないのだから。
「俺は――お前たちの"物語"にはならない」
あれだけ流暢だった関西弁を封印し、誰でもない誰かの痕跡さえも覆い隠した"久住"という男は、一切の感情も滲ませずにそう言い切りました。
その在り方が人に"彼"の深淵を想像させると、そう理解しているかのように。逆に自身の存在を誰かの記憶に刻み込もうとしているかのように。「Not found」だった者は"人"として贖罪の道を歩みます。
間違えても、ここから
時は進んで2020年夏。
世界は新型コロナウィルスの波に飲まれ、東京オリンピックは延期に。2019年のあの頃に考えていたものとは、全く似ても似つかない未来へと着地しました。
それでも機捜404は今も変わらず。
志摩は刑事を辞めず、伊吹は奥多摩に戻されず、今も最高の相棒として互いに互いを支え合っているようです。
未曽有の世界危機に際して、人ができることなどたかが知れていて。危機的状況を潜り抜けた事件の解決も、その規模に比べればきっと指先程度の存在でしかありません。
「てかさ、これからどうなんだろうなぁ」
「毎日が選択の連続…」
そんな状況下で100%完璧な選択などできるわけがなく、また100%の人を納得させる選択も存在しない。そうであっても、我々は何かを選択して歩みを進めなければなりません。
伊吹と志摩の悪夢の中では、東京オリンピックは開催されるはずでした。しかし現実はそうではなく、思い描いてた夢の祭典は実現されることなくその日を迎えます。
それは凄まじく不幸なことで。どこで間違った?いつなら止められた?そんなことを考えても、絶対に答えは出ない戦いを、我々は今正に繰り広げています。
でもその夢の中では志摩は死に伊吹は人殺しに。現実はそうはならずに多くのスイッチを切り替えて、仲良く機捜404は今でも東京の平和のために走り続けています。
何が幸福で何が不幸になるのか。個人単位で見れば、それはもう全く分からない。だからこそ、それぞれの人生を正しく懸命に生きることが必要です。
「…また間違えるかもなぁ」
「ん~?」
一度は乗り越えた苦難でも、人の根底はそう簡単には変わりません。大きな窮地を経験すればまた同じように過ちを犯して、性懲りもなく同じ危機に陥るのかもしれません。そのリスクを、常に人間は持ち続けています。
「まぁ間違えても、ここからか」
「そういうこと~☆」
だから彼らは決して「もう間違えない」とも「同じ過ちを繰り返さない」とも言いません。そのリスクと向き合った上で、未来へ向けての行動を開始します。
一度乗り越えられた苦難なら、何度来ても同じように乗り越えられる。その可能性も常にセットで存在し続けているからです。
「機捜404、ゼロ地点から向かいます。どうぞ~!」
人は何度でも間違える。何度でも絶望して、そしてその度に何度でもやり直せる。生きている限りは、そのチャンスはいつまでも残されている。
ならば、今この時を精一杯戦おう。絶望の中に存在する一筋の希望を掴むために、相棒と共に駆け抜けよう。
これは「ゼロ」から始まる物語。
そして幸運を、僕らに祈りを。まだ行こう、誰も追いつけないくらいのスピードで。
おわりに
ついに終わってしまいました。
最高のエンターテインメント体験を届けてくれた『MIU404』。感想記事の方も熱量マックスで駆け抜けてきました。
最終回は最初から最後までできる限りの描写をしっかり拾った記事に仕上げました。全てのスタッフ&キャストの方々に、最高の作品体験をありがとうございましたとお礼を言いたいです。
本当に高い期待値で始まったドラマでしたが、その期待の遥か上を飛び越えてくれる作品に。期待が高ければ高いほど、それを上回ってくれた時のファンの熱量は大きなものになる。ネットを通してそれをまざまざと体感させてくれる物語でした。
日本の刑事ドラマの歴史に名を刻むことになるであろう傑作を、リアルタイムで皆さんと共に楽しめたことを本当に嬉しく思います。この記事をここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございました。僕の熱量が伝わると共に、作品の解像度がよりクリアなものになっていましたら嬉しいです。
これにて弊ブログの『MIU404』感想&解説シリーズは終了です。お読み頂いた方、これから他の話の記事を読んでくださる方、その全てに感謝申し上げます。
また他の作品などで出会うことがありましたら、その時はよろしくお願いします。それではまた。
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