ドラマ/実写映画

『アンナチュラル』から見る"秀才的"脚本家 野木亜紀子の巧みさ

2018年6月24日

引用元:『アンナチュラル』キービジュアル

 

TVドラマ『アンナチュラル』を見ました。

ゆっくり見るかと思い1話を再生し、1話のあまりにパーフェクトな出来にそのまま視聴し続け3日で完走しました。実に最高なドラマですので、可能なら今すぐにでも見てほしいですね。

僕は医療系とミステリー系は普段あまり好んで見ないので、法医学ミステリーというこの作品は、本来であればあまり食指が動かないタイプの作品でした。そんな僕がこの作品を見ようと思ったのにはわけがあります。

それは脚本家が野木亜紀子さんだったからです。
本当にとんでもなく上手な本を書かれる脚本家さんで、僕が現在脚本家単位でチェックしている数少ない方の1人です。

この記事では野木亜紀子さんの脚本の上手さについてしたためて参ります。よろしければお付き合いください。

 

野木亜紀子という脚本家

世間的には『逃げるは恥だが役に立つ』のドラマ脚本を担当されたことで、一躍知名度を上げた野木亜紀子さん。

もちろん、そのずっと前から確かなキャリアを積み重ねていた背景もあります。僕が初めて拝見したドラマは『重版出来』。地味な題材を活かし切るあまりにスマートな1話の構成に舌を巻いた記憶があります。

当時は意識して見ていたわけではなく、「優れた脚本家がいるようだ」程度の印象のみが残っていました。そしてそれが『逃げ恥』で繋がりました。この時に、自分が映画館で観て好印象を持った『俺物語』『アイアムアヒーロー』などの脚本を担当されていたことも知りました。

『アンナチュラル』はそんな野木さんの完全オリジナル作品。
彼女自身はメディアミックス作品の担当が多く、オリジナル作品はさほど多くない脚本家です。

別媒体の実写化という高いハードルを、確かな作品理解と取捨選択技術によって成功に導いてきた彼女。その手腕を買われての抜擢だと推察されます。

経歴を考えるに「満を持して」と言っても良いのではないでしょうか。

圧倒的に計算された"構成力"

野木亜紀子さんが脚本家として特に優れている点は、「話の構成力」だと思っています。簡単に言うと「話をまとめるのが上手い」のです。

テレビドラマは1時間の枠組みで製作される都合上、他の媒体よりも1話完結を求められる傾向があります。「一話だけで面白く感じさせられるか」が重要視されている印象ですね。

なので、どこか1話だけ切り取って見ても面白いと思える作品は、全話通して見ても面白いことが多いです。

恐らく一話ずつの構成が上手い方は、1クール分の構成もしっかり見据えることができるのでしょう。そしてこれは、本当に重要なことでもあります。

例えば、話のどこかをごまかして作劇することが多い作家のドラマは、話数を重ねるごとに致命的な齟齬が目につくことがあります。そういったものが複数見られると、だんだんとドラマに集中できなくなってしまいます。

一話単位だと「気になる」程度の齟齬が積み重なって、最終的に「つまらない」になるのが連続ドラマです。

この「話の構成」に関しては、完全に脚本家の腕に依存しているところがあります。どんなに優れた演出をつけても、役者が頑張って演技をしても埋めることができません。

逆に言うと、この部分が間違いないクオリティで創られていると、その他全ての要素がより良い形で輝けることにもなるわけです。

ですから映像作品の脚本は「他を阻害せず、より輝かせる」構成力がより大きな意味を持つのです。

そして野木亜紀子さんは、この構成力が突出して優れている方だと言えます。その点、業界内でもトップクラスの腕前だと言って間違いないでしょう。

話の盛り上げの創り方、伏線の張り方、回収の仕方など。全ての要素が必ず一話の中でまとめ上げられており、変なモヤッと感や「結局あれどうなった?」という疑問が一切残りません。

しっかり頭の中で全て創られており、立てたプランを着実に遂行していくような爽快な脚本。ノリで書いている感じが全くしない緻密さを持っています。

もちろん、ノリで書くことも悪いわけではありません。むしろノリで書いて面白い作品を創る方は大勢いて、彼らもまたそのノリでしか生み出せない作品を創っています。

ただ、感覚による作品創りと頭で創るのには、全く違った良さがある。ということなのです。

秀才的なストーリーテリング

ここで『アンナチュラル』の内容を参照してみましょう。

実のところ『アンナチュラル』は、取り分け驚きの結末を迎える作品ではありません。概ね想像通りの話が展開されて、想像の範囲内で終わります。何が起きるか分からないドキドキ感が大きい作品ではないと言えます。

にも関わらず、その内容が期待を遥かに超えてくるのが衝撃的で。内容は想像通りなのに、出来上がってくるものは期待以上。それが『アンナチュラル』です。

だからこそ感性よりも頭脳で創られている作品だと感じられます。加点方式ならこれを上回る作品はあるかもしれませんが、減点方式なら100点満点と言って過言ではない作品だと言えます。

この語り口は、どちらかと言えば天才的と言うよりも秀才的と表現するのが相応しい。

しかしこの差がどのようなものなのか、ピンと来ない方も多いでしょう。なので1つ身近なものとして、料理を例えにお話してみようと思います。

冷蔵庫の中に野菜と肉とカレールゥがあったとします。あなたはある料理人に「それで何か料理を作って下さい」と頼みました。

この時に出てくる料理としてあなたが想像するのは、やはりカレーではないかと思います。

ところが天才的料理人は違います。
天才はこの材料からカレーではない全く違う一品料理を創造し、あなたに提供してくることでしょう。

我々の想像では考えもつかないような独自性を展開し、頭の追いつかない結果を残す。そのように仕上げてくるからこそ"天才"です。

では、秀才的料理人はどうでしょうか?
秀才はその材料から、十中八九カレーを生み出すでしょう。

しかしながら、そのカレーはただのカレーではありません。我々の全く知り得ないような、食べたことがない独創的な味なのです。

一般人の想像通りにカレーを生み出すものの、その中身は期待を遥かに超えている。結果的に「今まで食べたカレーの中で一番美味しい」存在として鮮烈に記憶に残る。これが秀才的な人間が辿り着ける境地です。

野木さんの書かれた『アンナチュラル』は後者であると考えています。

決して想像できないような内容ではないのに、その内容が考えたこともないほどに煮詰められている。だからこそ人の心にストレートに届く、誰でもしみじみと味わえる脚本を書くことができるのでしょう。

秀才的作品が天才に差し迫り、超えて行く。野木さんの脚本はそんな痛快さも感じさせてくれる、一味違った珠玉のストーリーテリングを持っています。

さて、次の項ではその構成力の中で、より特筆しておきたい部分を見て行きましょう。

セオリー通りの展開 最高の裏切り

話の構成力は、話の分かりやすさに直結する要素です。

野木さんの脚本はとにかく分かりやすいのが特徴的。
誰が見ても「分からない」「難しくてついて行けない」ことがないのではないかと思います。

キャラクターも感情に実直に行動。よく分からない言い分や、明かされない信念などもない。心情をほのめかした謎の行動などがとても少ないです。

お話創りの基本に忠実で、ちょっと難しいところはしっかり言葉にしてくれる。正にお手本のような展開です。

ですが、それだけだと本当に平坦なお話で終わってしまうことも少なくありません。「良いお話だけど特に印象に残らない」「良い出来ではあるがどこかで見たような感じ」それ止まりの作品になりがちです。

でも『アンナチュラル』はそうなってはいません。誰もの心に印象的に映ったからこそ、あれだけ高い評価を得られたのだと思います。

では何故『アンナチュラル』は、分かりやすいお話で人の心を惹きつけることができたのでしょうか?

感情に寄り添った展開

『アンナチュラル』の展開に多く盛り込まれていたのはスマートに差し込まれる視聴者への"裏切り"です。

最初はこうだと思っていたストーリーの真相は、実は別のところにあった…というやつですね。

『アンナチュラル』は全話通してこの"裏切り"を非常に大事にした創りとなっていました。その中でも、特に見事な創りだったのが全ての始まり、第1話です。

要素だけ挙げても

浮気疑惑→私怨からの毒殺→感染症の判明
→感染源の特定→医療機関の利権争い→事件の解決

と「真相に違いない」と思っていたものが、怒涛の勢いでひっくり返されていく内容でした。序盤だけ見て「また不倫ものか」と判断しかけた方も少なくなかったはずです。

野木さんの脚本はこの裏切りの入れ込み方が正に絶妙です。と言うのもこの"裏切り"は、とりあえず突っ込んでおけば面白くなるものではないからです。

話の転換はストーリーを動かす上で必要不可欠なものですが、ちゃんとお膳立てをしないと「実は~実は~」の応酬になってしまい、視聴者がついて来れなくなります。結果的に作家の自己満足になり、「単純に面白くない」と言われてしまうことも。

その点で『アンナチュラル』の1話は、伏線とキャラ感情の動きが非常に緻密に張り巡らされていました。そのおかげで、実尺60分の中に4回も盛り込まれた"裏切り"が、全て無理なく受け入れられるような物語になっていたのです。

しかも話にのめり込んできて「恐らくこれが真相なんだろう」と、そう思い込んだ段階で綺麗に切ってくるのがまたにくい。我々はその度に「やられた」という感想を抱きながら、強烈に話に惹き込まれてしまうのです。

『アンナチュラル』は全話通してこの"裏切り"による展開が、常にベストなタイミングで放り込まれていたように感じます。

裏切り、ミスリードは特にミステリー作品において欠かせない要素ではありますが、その全てが毎回しっかり完全に流れに落とし込まれているというのが末恐ろしいクオリティです。

全10話通して、悪い意味で「おいなんじゃそりゃ」と思う個所が一つとして見つからない、あまりにも優れた構成で練られた脚本。

分かりやすいストーリーに、分かりにくく伏線を散りばめ、最高に優れた構成の作品を世に打ち出すことに成功した。

それが『アンナチュラル』と、その脚本家であった野木亜紀子さんの功績です。何に置いても「素晴らしい」。その言葉を紡ぐ他ありません。

おわりに

ここまで構成についてつらつらと書かせて頂きました。ですが、野木さんの脚本を見ていて強く感じることがもう1つあります。

それは「受け手がどう感じるか」の見詰め方が大変優れているということです。

客観的に自分の作品を見て、どうなっていればベストなのか。「自分が受け手として自分の作品を見たらどう思うのか」という見方が、作品に色濃く反映されていると思います。

そして、その意識が実際の受け手と非常に近いところにあってくれている。大変素晴らしいことであり、こういう方が存在してくれていること自体、我々視聴者にとって幸運なことであると思います。

創り手とは必ずしも大衆にとって優れた作品を生み出してくれるとは限りません。「玄人好み」と呼ばれる作品ばかり創る方もいますよね。

野木さんのように、面白い作品を"我々にとって最高"のエンターテイメントとして打ち出してくれる方は、想像しているよりもきっと貴重な存在です。

僕は常々「オタクを最も喜ばせられるのは、知識と力を持ったオタク」という言い方をしていて、実際に自分の好きな作品にもそういうクリエイターの方々が携わっている作品が多いです。

それはTVドラマや映画であっても同じことで、野木さんは「自分自身もファン」という目線をしっかり持たれている方という印象があります。

だからこそ、ファンの目線でメディアミックス作品の実写化を幾つも成功させることができたのでしょう。そしてそれを多岐に渡って担当してきたことによって、より良いオリジナル作品を創ることに成功にしたのではないかと思います。

メディアミックスでの成功とオリジナルの成功は全く違った意味があります。名実ともに、今の映画ドラマ界を支える脚本家として認められたのではないでしょうか。

これからも野木さんの作品を、是非チェックして行きたいです。僕も一端の物書きとして、大変参考にさせて頂きたく思います。

おこがましくも語って参りましたが要するにただのファンです!大口叩きですみません!

『アンナチュラル』は本当に最高の作品でした。
ストーリー構成という観点では2010年代を代表する1作品に数えられても全くおかしくないクオリティだったと思っています。

それでは今回はこの辺りで失礼致します。またどこかでお会い致しましょう。

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はつ

『超感想エンタミア』運営者。男性。二次元イケメンを好み、男性が活躍する作品を楽しむことが多い。言語化・解説の分かりやすさが評価を受け、現在はYouTubeをメインに様々な活動を行っている。

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